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映画時評『PERFECT DAYS』

またもや周回遅れの感想になりますが、ヴィム・ヴェンダース監督の新作『PERFECT DAYS』を観てまいりました。結論からいうと、本作はヴェンダースの最高傑作ではないかと思います。

舞台は東京。押上のアパートに住む平山という男が主人公です。(偶然の一致ですが『東京物語』で笠智衆が演じる役も平山です)平山は渋谷区の公共トイレの清掃員をしていて、家族や恋人はおらず、閑かで慎ましい暮らしを営んでいます。そんな男の日々のルーティーンを描く映画です。

ほかの人の感想を漁ったうえで、後出しジャンケン的にレビューを書かせてもらいますが、大多数の意見は、トイレ清掃の過酷な面を映さないことへの苦言をあえて述べたうえで、それでも平山がおくるささやかな日常を肯定的に受け止めるという感じに見受けられました。

確かにこの映画には、トイレ清掃といいつつも汚物はいっさい画面に映りませんし、トイレ利用者とのトラブルもなく、金銭面にも不自由せず、余暇の過ごし方も優雅です。ここまで書けば、穏やかな日々といっても所詮は綺麗事か。と思う向きもあるかもしれません。しかし皆、不思議とそこは飲み込んだうえでよかったという感想をこぼすのです。

ぼく自身の感想をいうと、トイレ清掃の過酷な面を映さないことはさほど気になりませんでした。なぜならこれはそういう映画ではないからです。この映画を支配している要素は、トイレ清掃というの特殊な現場ではなく、平山のもつまなざしにあるからです。


小津映画とまなざし

まなざしといえば、小津安二郎である。ヴェンダースはかつて『東京画』というドキュメンタリーでバブル期の日本を訪れ、小津映画に出てきた日本の面影を探しまわったりした人物です。(そしてアメリカナイズされた日本に失望して帰っていきます)ヴェンダースは小津映画の特徴をローポジションに置かれたカメラや、人物を正面から捉えるカットに還元したりすることを決してしない。
小津映画の本質とは、事物を眺めるまなざしそのものにあって、監督がなにを大切に見ているのか、なにに注意を傾けているのか、それを淡々とカメラで見せていく過程そのものなのです。小津監督のまなざしが観客の見る光景となり、かれの発見や思索を、映像をとおして追体験することになるのです。

『PERFECT DAYS』を観てわれわれが持ち帰るのは、平山がなにを大切に眺め、なにに注意を傾けているのかというまなざしそのものです。それはかれがトイレ清掃員であろうと、コンビニ店員であろうと、実業家であろうと宇宙人だろうと変わらず持ち続けるであろう、ものの見方なのです。なのでトイレ清掃の過酷さが描かれていないことは、この場合問題にならないのではと思います。

音楽に関しても徹底していて、昔からのヴェンダース演出なのですが、作中で流れる音楽は必ず主人公がなにかしらのステレオで耳にしている音であるということを外しません。主人公が聞く音=我々が耳にする音になり、シンクロ率は400%を超えます。英語の歌詞まで頭に入れてから観にいくと、暴走を起こした感情の大波が使徒を食い破り撃滅する勢いで向かってきます。

曲を流すタイミングなんかも重要で、映像と曲を調和させなければならないのをいとも容易くやってのけている。映画が始まり、平山さんがルーティーンを終えて車で首都高を走るシーンで最初の曲がかかるのですが、そこで一気にヴェンダース監督のロードムービーへと変身をとげ、退屈な東京の街が魔法をかけたかのように胸躍るものに見えてくるのだから不思議です。

平山さんのユートピア

平山のルーティーンは、カセットテープで音楽を聴くことや、古本屋で買った百円の文庫本を買って読むことだったり、穏やかでなんてことのない日常です。面白いのは、このなんてことない日常がユートピアに見えてしまうことです。(それだけ今の我々の暮らしが忙しく、荒んだものであることを暴いてしまうようなのですが)キャッチコピーの“こんなふうに生きていけたなら”はまさに確信犯的な文言と言えます。
僕が普段SF小説をよく読むからそう感じるのかもしれませんが、物語でディストピアを描く作家、描ける作家はたくさんいますが、ユートピア(実はディストピアでしたという内容じゃない)世界を描ける人はほとんどいない。ヴェンダース監督はこの映画で率先してユートピアを指し示してみせ、ただの日常を丹念に味わうことで豊かな意味を引き出せることを観客に見せているのだ。
インタビューのなかで監督は、平山は本を読むとき10冊並行で読むようなことはしない。必ず一つの本だけを読み続け、読み終わるとまた一冊だけ買いに行く。というようなことをいっていて、少しギクッとする。
ぼくも本と漫画とアニメとを同時並行で追いかけるから、一作一作の鑑賞体験が薄れがちになってしまうんだ。やっべーわ。明日から平山さんになろう。

本作はユートピアではありますが、一人で穏やかに生きる人生か、わずらわしさもある人間関係のなかで(例えば恋人とかと)生きる人生か、その両方のいいとこどりはできないというような、天秤にかけられたままの価値観が提示されている気がして、それがラストの平山の表情でもあるのだと思いました。なので絵空事だとか片手落ちにならない満足感があるのだと思います。

フィクションとドキュメントの奇跡的な調和

あともうひとつ。平山演じる役所広司は作中ほとんど言葉を発しないのですが全く退屈しなかった!という感想について。
確かにセリフはほとんどないですが、その代わりこの映画はまなざしによって雄弁に語ります。見ために反してものすごくおしゃべりな映画なのだこれは。それにたとえば、柄本時生が演じているトイレ清掃員の後輩が仕事をドタキャンして辞めてしまい、平山が感情的に怒ってみせるシーンがあるのですが、これはヴェンダース監督から大げさにリアクションしてくれという指示があっての演出だそうで、部分部分にわかりやすい味付けをほどこす手並みが洗練されていて、配分がみごとなんです。配分とは、フィクションとドキュメントの割合のことで、監督は劇映画である本作をドキュメンタリーのように撮ったといっていて、それがものすごく効いている。作為と自然さの神がかったバランスが奇跡的な調和を果たした一本だと思います。ヴェンダース監督は劇映画も監督しますが、ドキュメンタリー映画の本数も同じくらい多く、『PERFECT DAYS』がこの二つのキャリアの融合を果たした集大成的作品であるという意見も頷けます。

本作の企画はそもそも、電通とユニクロの『THE TOKYO TOILET』という渋谷区の公共トイレをアートな建築に変えてしまおうというプロジェクトの宣伝として始まったもので、そんな企画がまさかこれほどの傑作を産むとは思いもしませんでした。
トイレの宣伝にさえなりゃいいので、内容は好き勝手撮ってもいいというのが、クリエイティブを発揮する余地につながったんでしょうね。さらにこのトイレ自体、被写体として優れていて、映画のアクセントになってるし。文句なしの企画ですね。
昨年公開した映画のなかでもトップクラスに面白い映画でした。

参考文献

ヴェンダース監督への6弾にもおよぶロングインタビューと『SWITCH』の特集は必見の内容で、映画を気に入った人にはぜひ手に取ってもらいたいです。見応えのある内容で満足です。


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