僕がnoteで文書を書こうと思った5つの理由


僕は文章を書くのが苦手だ。それでも、それを差し置いても、自分の意見を文章としてアウトプットすることに圧倒的なメリットがあると感じている。今回は、自身の意見を発信することによるメリットを紹介する。

最初に断っておくが、今から述べる根拠は、基本的に全て「自分のため」である。だが、屁理屈を言うようで恐縮だが私は、利己を追い求めた先には利他があると思っている。だから、本記事に共感し、価値を感じてくれる人がいればこんなにうれしいことはない。まさにWin-Winである。

「自分から発信しない」ことにリスクを感じた


昨今「一億総発信時代」などを言われる。国民一人一人が各種SNSで発信できるようになって久しい。その中での発信をTwitter、note、ブログなどで読んでいて

あれ、結構みんなレベル低くない?

と思うと同時に、「何も発信していない俺ってそれ以下?」と思い、嫌な汗が出た。そう、どんな駄文であろうが、それでも発信しないよりマシなのだ。「自分が発信していない側の人間だと気づいた時のシンプルな焦り」が一番の動機である。

昔、上司に「俺、『何考えているのかわからないヤツだ』と思われるのが一番恥ずかしい。」と言われたことが今になって思い出される。意見を言わない人間はいろんなシーンで封殺されていくのだ。そういう人間が今後長期的にどうなっていくのか、怖さを感じた。サイレントマジョリティーでいることの無力感、恥ずかしさを感じるようになった。

自己紹介が苦手だ

僕は昔から「自己紹介」が苦手だ。自分という人物がどんな人間か表現し、他人に理解してもらう、という行為に何とも言えない歯がゆさを感じていた。また、今となっては甘い話だとは思うが「他者が勝手に自分のいい所、悪い所を理解してくれればいい」と思っていた。というか、今でもそう思っている節はある。しかし、それはやはり甘い。活躍している人間、評価されている人間は必ず自分をアピールする武器を持っている。

そして僕はその武器として、noteで自分の文章を発信することを選んだ。自分という人物ついて、自己紹介するのではなく、自身を作品の見てもらう方が自己紹介として適切で美しいと感じている。私という人間を紹介するのではなく、私という人間が生み出した文章を通じて、私の価値観を知ってもらうことの方が、自己紹介よりまだずっと楽だ。

文章を書くことで自分を客観視できると思った


「悩みは紙に書き出しましょう」

自己啓発書で耳にタコができるくらい言われるアドバイスである。確かにこのアドバイスは的を射ており、紙に書き出すと客観的に自分の思考、悩みがわかるし、すごく冷静になれる。だが、チラシの裏にでも書くようなどうでもいいメモを公開する気にはどうしてもなれなかった。僕のポリシーとして、ありきたりなことは言いたくない。少しでも読者に新しい気付きを与えたい。だから、他人に読んでもらえる文章を目指そうと思ったのである。

そして、溜まった記事を再度見返したりすることで、私自身を客観的に認識できるかな、と思っている。

数値で評価される緊張感と面白さ


僕はシステムエンジニアである。仕事での成果は、システム、プログラムという形で顧客に提供されるので、仕事を通じて誰かの役に立っていることは間違いない。

別の職業人の話として、営業職のノルマが辛い話をよく聞く。契約数、売上高などの「数値として他者と簡単に比較できてしまう成果」でドラスティックな評価に晒されることは、非常に怖いと思う。一方で、そのわかりやすさを少しうらやましいと感じるところがあった。

ドラスティックな評価はシンプルゆえに逃れようがない。
僕もnoteのPV数という一指標はではあるが、そういったドライな市場評価に晒されて、そこで成果を出す、ということにチャレンジしてみたくなったのだ。

マーケット感覚を身に付けたい。


働いている以上、必ず誰かからの評価を受ける。私は会社員だが、会社・上司からの評価は、培ってきた人間関係がベースにある故に温情深く優しいが、同時にぬるい。

一般市場の中では、求められるものが勝ち残り、そうでないものは見向きされず、捨て去られていく。自分の意見を一般市場に触れされることで、どういったものが評価されるのか、というのを肌で感じ、評価を得るために試行錯誤してみる面白さを感じた。そしてその結果としてのPV数などを通じて、普段仕事では味わえない種類のPDCAを回してみたいと思った。


終わりに

以上、私がnoteで文書を書こうと思った理由を紹介した。何か心に触れるものがあれば嬉しいし、僕もみんながどういったモチベーションで記事を書いているのか知りたい。

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