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もしも僕らにシッポがあれば

猫はシッポでものを言う。
大好きな飼い主が帰ってきたら、シッポをつーんとたてて、わなわな揺さぶる。
「おかえりおかえりおかえり〜」と。

気が向かないときに撫でたり触ったりすると、シッポを横に大きく振って、ブゥンブゥンと人を払う。
「ちょ、ええから、退いといて」と。

天気もよくて、窓ぎわで、日向ぼっこも心地よくて、気分のいいときは、シッポの先っちょだけでクリンクリンとリズムを刻む。
鼻歌まじりに「ふふふーん♪」と。

彼らはシッポで、実に多彩に表現する。
とても、表情が豊かなのだ。

言葉によって、伝えたり伝わったり伝わらなかったりするうちに、どこか複雑に遠回りするような気がすることがある。
もっと、シンプルに伝えたりできそうなのに、と語彙力に不甲斐なく思うこともある。

シッポだけで要点を伝える猫をみていると、シッポほしいなーと思う。
僕らにシッポがあれば、と。

そんなことを、SNS友達と文字で会話をしていたら、
「私、シッポだけで分かるかな。勝手に、都合よく受け取ってしまいそう。」
と、ごもっともな答えが返ってきた。

言葉をツールとした行き違いや不具合は、シッポでも起こりうるだろうか。

「なんでそういう事言うの!?」
と言うように、シッポの動きで
「なんでそういうシッポするの!?」
と怒られるかもしれない。

「そんな言い方するからでしょ!」 
と言うように
「そんなシッポの振り方するからでしょ!」
と怒られるかもしれない。

「優しいこと言うのね」
は、
「優しいシッポね」
となるかもしれない。

「目は口ほどに物を言うのよ」
と言われれば
「目はシッポほどなのよ」 
だろうか。

あら、やだ。
口を塞ぐことはできても、
シッポは全開だ。オープンだ。丸見えだ。

シッポで本音がダダ漏れである。

セレモニーでかしこまった席でも、シッポは忙しなくリズムを刻んでしまうのかもしれない。

「お口にチャック」と言うように、
「シッポをしまいましょう」と言われかねない。

「そもそも、シッポがコミニュケーションツールだとしたら、こうして、文字で柊さんとお話できないよ」
とSNS友達が言う。ごもっともだ。

noteに、シッポの動画を載せるわけにはいかないので、やっぱり言葉にしていこうと思う。

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タイトル「もしも僕らに~」は、
「🎧僕は今日も  Vaundy」
が脳内BGMとして流れていたからです。
ピンと来た方がいらっしゃったら嬉しい。

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