道徳の教育についての雑感
辞書的な意味では
1 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
2 小・中学校の教科の一。生命を大切にする心や善悪の判断などを学ぶもの。昭和33年(1958)に教科外活動の一つとして教育課程に設けられ、平成27年(2015)学習指導要領の改正に伴い「特別の教科」となった。
という具合である。
人が生きていくうえに必要な「やさしさ」「おもいやり」「マナー」ということばに置き換えてもよさそうである。道徳心が必要なのはわかる。でも、授業の1つとして教えられ評価するのはどうなのだろう。
自分には道徳心を説くタイミングというのは反道徳的なことをして親や教員に指導されるときや周囲の人間から冷遇されたときなど「何らかの事象が起きたあと」になされるものという思い込みがある。人間は生まれつきわがままである。でもみんなわがままなまま通していれば社会は回らない。だからわがままな姿を客観的に伝え、その上で道徳心を語る「恥ずかしめてたあとに説く」という流れが自然だろう。授業で語れば語るほどチープさが増すリスクが高まるような気がするのは自分だけだろうか。。。
でも、授業をするのであれば「こんなことしてるのは恥ずかしいよね」というところから出発して道徳的な視点観点を考えるのは悪くないかもしれない。
また、内田樹先生は道徳心のことを「長い目で見た」うえでの発言・行動のことを指すと仰っている。
そう考えたときに、最近の政治家ってのは撤回したり、とぼけたり、ウソをつくことが多いなあと思い恐くなった。つまり、長い目でみた発言をしてないわけで、要は「その場しのぎ」「今が良ければいい」という雰囲気があるのではないか。。。
ハートウォーミングな話を聞かせ、芋版みたいな感想を書かせるのでは意味がない。自分だけでなく次の世代、その次の世代への視点を持つ。その上で責任感を持って発言し行動することが道徳的な生き方なのであれば、道徳を教えることの幅や意味は広く深くなる気がする。
道徳心を実感させるのは難儀だ。
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