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影を撮る と書いて" 撮影 "と言うけども…つまり?

本記事は、自身のWEBで掲載している内容を転載したものです。頑張って書いたので久しぶりにnoteへ。

こんにちは
Syuheiinoueです。

今回は写真撮影における”影”について考察した事をまとめてみました。

“ 撮影 ”という言葉を分解すると、影を撮る、と書きます。普通に考えてみるとおかしいですよね。明るくないと写真って撮れないですし、物理的な影だけを撮るという話でもないように思えます。

前提として、僕たち写真を撮る人の多くは「どう光と影を演出するか」ということを常日頃考えています。その理由として、写真の質の30%は光と影(ライティング)で決まると言っても過言ではなく、その次に構図が30%、視点30%、そしてレンズやカメラ本体やレタッチを全部あわせて10%程度と理解しているので、その理論をベースに試行錯誤トライしているのです。

カメラやレンズを高額にすれば良い写真が撮れるなら、神で溢れかえっているはずです。


さて、本題へ。

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写真の30%は光と影で決まる

僕たち写真家は、本当の意味で光をコントロールするものは ”光を発するものではない” ということを理解しています。写真の歴史が物語っているように、光が当たっていない ”影” の出方をコントロールすることに注視していて、たったひとつのレフ板でも、影を起こす(軽減させる)のか、黒を映り込ませるのか、鏡を反射させて新たな陰影をつけるのか…光をカットして影を作るのか…ディフューズで影を柔らかくするのか…と、影の表現に相当格闘を重ねてきました。その表現全てに対するこだわり、技術、個々の価値観こそ十人十色で、写真をトレースする(真似する)技術を兼ね揃えていたとしても、多少の個性が反映されてしまうものです。その一つひとつのライティングのこわだりから作り出される写真のオーラを、勝手に”色気”と読んでいます。

色気をまとう人をよく観察してみてください。
人生経験を重ねていたり、理解し難いこだわりを持っていますよね。個人的には現代のジェームズ・ボンド、ダニエル・クレイブとキアヌ・リーブスの色気が至高すぎるのですが、どうしたら辿り着けるのでしょうか…悲しみの極み。


キャンプで例えると、タープに映る木漏れ日や、早朝のまばゆい光、冬の木々が描く直線的な影など、光の向きと質の捉え方ひとつで写真の”色気”が変化するのですが、この言葉の意味がわかる方は結構玄人なんじゃないかなって思います。

とはいえ写真の色気って数値や言葉で説明するものじゃないと思うのですが、それをぶち壊してくるのが彩度ゴリゴリ青春系プリセットの存在です m(_ _)m

たまにインスタで見つける写真の中には、明るい暗い関係なくハイライトとシャドウのバランスが均一化させている写真があります。

言い過ぎですがハイライト-100、シャドウ+100みたいな。
彩度+50、グリーン色相+50、みたいな。
(写真現像ソフトの数値をほぼMAXまで持ち上げた状態)

明るすぎて白飛びしかけている箇所のトーンを、鉄槌で打ち下ろしてベタっとさせたかのような…暗くてよく見えない箇所を、まるで電気を消さない失礼なオトコのようにグイグイ明るく持ち上げて現像した写真と言えば良いでしょうか。そう表現する事でイラストやアニメっぽく不思議な世界に見えるので、写真が無作為に羅列されるインスタでは目立ってイイネを獲得しやすかったりするのですが、個人的にはそれらの写真にあまり色気を感じることはほぼありません。

だってそれは、光と影を嗜( たしな )むものではないから…
* 個人の意見です
* 彩度魔神
* ちなみにワタシも一度は経由した世界
* 例えると、何でもマヨネーズかける人みたいな
* 写真で絵画を表現するなら
* もっと陰影に注視した方が良い
* 現場からは以上です

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影による視覚効果について

写真を撮る時、皆さんは光と影、どちらを見て写真を撮っていますか?
僕は圧倒的に光を見て写真を撮ることが多いです。朝と夕方の光がもたらす包み込むような暖かさ、主役を引き立てるためのスポットライト、ランタンが彩るサイトの雰囲気、空と地上の露出バランスなど、基本的には光(明るいもの、被写体)の角度や質を観察して写真を撮っているのですが、その光を際立たせるために絶対的に必要な要素 ” 影 ” の観察は入念に行います。

人間の目は、明るいものから暗いものに視点移動する、という習性があって、僕はその習性に沿って、際立つ光からグラデーションのように落ち込んでいく影を眺めるような視線誘導の写真構成を心がけて構図を決め、撮影しています。そうすることで写真1枚を隅々まで見てもらう意図があるのですが、写真における暗い箇所って面白くて、暗ければ暗いほど想像力が引き立つのです。(黒潰れするまで暗いという意味ではなく、うっすら見えるギリギリの暗さ、という事です)

これも人間の心理に沿った見せ方なのですが、例えば夜になると急に色々なことを想像しますよね。夜になると急に不安になる人もいれば、夜の方が新しいアイディアが思い浮かぶ人もいる。夜の方が恋人とのムードが生まれたり、人間って暗くてよく見えない事に想像を膨らませる生き物なのです。

それは写真も同じで、明るく主体性のあるモノ以上に影の存在がイマジネーション(想像力)を膨らませるものなのです。そもそも僕自身が、写真=想像性の高いもの という認識でいることが、影を意識する大きな要因かもしれませんが。

とはいえ、写真に映るシャドウ表現を観察しながら「こんな意図があったのか!」「ここは隠された財宝が…!」なんて見る人はいませんよね(笑)僕が言いたいのは、主役を引き立てる要素は影が演出している、ということです。例えば真夏の太陽と昼下がりのカーテン越しの室内では影の強弱が変化するように、その写真を見て「これは夏っぽい」とか「昼下がりの午後っぽい」と本能で認識するのはなぜでしょうか…ということを話したかっただけです。

深掘りしすぎました。

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光のソムリエを知っていますか?

ここまでお話しておいてアレですが、写真におけるライティング(光のコントロール)って、光の当て方や影の出方を決めることだけじゃなくて、光を通じて”いかに感情を表現するか” だと思うのです。

なぜ人は夕陽に恋焦がれるのか、シルエットがなぜロマンを感じるのか、その感情や心理を表現するために光をコントロールするものだと考えています。今の時代で平たく言うならば、エモいっていうヤーツです。本当はそんな平たい言葉じゃないんですけど…

この考えを至るまでに、大きく影響を受けた人がいます。そう、見出しの”光のソムリエ”と呼ばれる 照明デザイナー東海林弘靖氏の存在です。何年も前からブログを拝見しているのですが、毎回なるほどな〜と納得する内容ばかり。良かったら是非参考にしてみてください。特に”美暗”について、今回のテーマに近いかもしれません。全ての影と闇に関する答えを言語化してくださっています。

The LIGHTING SOMMELIER 光のソムリエ
照明がもたらす美しい時間

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パンドラの箱を開けた気分だ

影を撮ると書いて撮影と言うけども、つまり影を語るなんて百万年早かった…
こうやって個人の見解をツラツラと書いてみて感じたのですが、影という存在はあまりにも奥が深く、簡単に語れるような代物じゃありませんでした。書きながら自分で何を言っているのかワケワカメすぎて脳内漆黒に包まれたような時間を過ごした気分です。

という訳でして、もはや光のソムリエまで辿り着いて頂ければ満足です。むしろ光と影のことを知るには、もっともっとソムリエから学ぶ必要があります。

ソムリエ、万歳
また書きます。

Syuheiinoue


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