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第61回 アメリカの態度の変化

1940年1月、アメリカは、日本への錫(すず)、屑鉄の輸出の半減と、日米通商航海条約の失効を一方的に通底してきました。
かつて、まだ不平等条約で江戸時代末期から苦しんでいた日本に、1911年、初めて関税自主権を認めてくれたアメリカとの記念すべき友好の条約でした。これでアメリカと日本は無条約になってしまいました。

ペリーの来航以来、日米は友好と思っていた日本政府は面喰いました。お互いの1906年のサンフランシスコ地震、1923年の関東大震災にはそれぞれ援助を惜しみなくしました。
しかし、1931年の満州事変より始まって、1937年の盧溝橋(ろこうきょう)事件、南京事件と中国侵略を続ける日本にじわじわとプレッシャーをかけてきたと日本政府は思いました。

しかしアメリカ大統領ローズベルトの真意は他にありました。それは日本を焚きつけてこちらに刃向わせ、何とか不戦のアメリカ世論を参戦に向かわせならないかという作戦の序章でした。(続く)

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