【おふとんな日々Vol.32】脳内のブチギレオカン[後編]
こんばんは!
毎週水曜日、fumiさんと旬香の交換日記『おふとんな日々』第32回です。
お盆休みで、ベットに転がってスマホを触ったりゲーム三昧をしたせいで、首をやらかしました。寝違えのような感じで、すべての動きで首が痛い…。
毎年夏休みの終わりに首の激痛に見舞われることに今年やっと気がつきました。
台風で家から出にくくなることでの運動不足や、エアコンで慢性的に身体が冷やされていることなどなど、いろんな要因がありそうです。
さて、8月23日(水)の「おふとんな日々」は旬香が担当いたします。
ぜひチェック、いいね、スキ、よろしくお願いします!
前回の記事はこちら↓
前回はfumiさんが、脳内に住んでいたブチギレオカンを追い出したお話でした。
わたしも大人になってしばらくの間、脳内にダメ出ししてくるオカンがいました。
fumiさんと同じように、追い出すことがメインというよりはもっと気楽に幸せに生きたいと生活改善をした結果、追い出すことになりました。
今回のテーマで、
「わたしも脳内になんかいるかも?」
「手放す選択もあるんだ」と伝わればいいな、と願っています。
早速うちのダメ出しオカンを紹介していこうと思います。
不幸話グチグチオカン
うちのオカンはブチギレというより「不幸話グチグチオカン」でした。
耳にタコができるほど、何度でも同じ話をします。いい話も悪い話も。
悪い話のほうが記憶に残りやすいし、言われてイヤでした。
たとえばこんなこと。
家のなかには可哀想で傷つけてくる母と、無責任で家計を背負う父しかいなかった。どちらの側につくのか無意識で選んでいた記憶があります。
今回このnoteを書くにあたって、母の言動がどんなものだったかパッと思い出せなかったことが、なんだかすごく嬉しかったです。
離れても育つ「脳内オカン」
上に書いたのは、ぜんぶ母が実際に言った言葉。
それとは別に、離れたから育ってしまった脳内オカンもいました。
大学に入ってすぐ、母の断捨離が加速して実家から洗濯機・冷蔵庫・ドライヤーがなくなったのを機にひとり暮らしを始めました。
その後はほとんど実家に泊まったことはないし、連絡もショートメールやLINEのみ。
それなのに頭の中で母はどんどん大きくなっていきました。
福祉大学に行った理由が「母が悪かったのか私が悪かったのか知りたい」という理由だったこともあり、家を出てからの方が母との関係を考える時間が増えたのも理由のひとつ。
母の言動を反芻するかのように何度も思い返すうち「やっぱり愛される価値がなかったんだ」と確認できてしまって何度も何度も「自分には価値がない」と言い聞かせるようになってしまいました。
わたしのなかの脳内オカンは、リアルの母には絶対できない言語化をして「愛してない」「その価値がない」と言い続けてくる存在でした。
幸い、大学での研究で「母が悪かったのか私が悪かったのか」に自分なりの答えを出すことはできました。
母も助けが必要だったけど、わたしも悪くない。矛盾するようなこの答えがちゃんと腑に落ちるまでには長い時間が必要でした。
オカンとの決別
母との関係がこんなに大きな影響をもたらしていると分かったのは、夫と結婚したときでした。
特に結婚願望はないまま結婚したのですが「家庭が苦手」だと気付いてしまったんです。
新しい家庭を築くとはいっても、誰しも自分の育った家庭をなぞるように家庭の形を作っていくもの。
育ってきた家庭をなぞるなら、家庭はすごく苦しいものでした。
その上、専業主婦なのに数百万を習い事に使い、家事を子どもにさせる母を否定してきた自分の言葉までが心に突き刺さる。
今思い返せば、夫はなにも言ってなかったのにとにかく怖くて怖くて、ずっと臨戦体制で暮らしていました。
オカンではないですが、父は母のごはんが気に入らないと自分で買ってきた肉をわたしに焼かせる人だったので、夫がなにを作っても「ありがとう」と食べることもめちゃくちゃ衝撃的でした笑
「オカンとの決別」はすなわち「家庭のイメージとの決別」。
毎日が「言い聞かせる」作業の繰り返しでした。
死に物狂いの日々でしたが、「ちがう」と何度も言い聞かせられたのは、離れていたからこそ。
実家を出て10年くらい掛けてやっと、あの頃応えられなかった期待にもう答えなくていいんだとちゃんと分かった気がしています。
必死で言い聞かせた「今の暮らしの事実」が今では当たり前になって、毎日の生活に安心をもたらしています。
離れてやっと、見えたこと
今になって分かるのは、母には多分そんなに悪気がなかったということ。
1年ほど前にやっと母に聞けたんです。わたしを殴ったのはなんでだったの?って。
そしたら「ものすごく大事だったからこのままだと手放せなくなると思って一生懸命厳しく育てた」と言われました。
自分なりの理屈がある人なのは知っているし、ぜんぶまっすぐ考えた結果なのも知ってる。今だからそのまっすぐさを「こういう人だよね」と思える。
それに妹や弟を見ていると、1番厳しくされて1番反発したわたしだからこそ、母を嫌いになりやすかったし離れやすかったのだと思います。
「ママは悪い人じゃないんだよ」と言いながら「ママには友達がいないから、自分も友達と遊べない」と泣いた妹はきっと母を嫌うこともできない。
自立したいと願うのも育ってきた過程からなんでしょうが、自立したいわたしにとっては、ちゃんと嫌いにならせてもらえてよかったと思っています。
これが今のちょうどいい距離なのだと思います。
母のエピソードを思い出せなくなってきているのが、その証拠。
さて、今回はfumiさんと「脳内オカン」について書いてきました。
ふたりとも脳内から追い出したからこそ話せることですね!
こうして何度も語り直すたび、「あのときこうだったんだ」「今のこれが大事」と気づくことも大事。過去を何度も語り直すことで意味づけを変えていく「ナラティブ・アプローチ」がありますが、noteを書くこともその一つな気がします。
次回はfumiさんの「のぞき見ライフスタイル」の回!
来週も楽しみにしています!
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