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10年後の居酒屋

 コロナ禍によって働き方は強制的に5年先へ進んだと言われています。それによって見えてきたオフィス不要論や、通勤の見直しなどが叫ばれ、実際にデジタル関連企業を中心にオフィス縮小の傾向がみられています。

 また、「アフターコロナとはもはや言わない」と叫ばれるほど世界は変革しました。コロナ禍の生活リズムはある程度定着すると考えられますし、今後もリモートワークや多様な働き方はなくならないと思われます。

 オフィスのスタイルは、これまでの「通勤し盲目的にデスクに着く」だったものが減少し、今後は「気づき」や「キッカケ」を生む交流スペースのようになっていくと言われています。

 そうすると、居酒屋も大変です。いままでの会社帰りの飛び込み利用をメインとしたビジネスから大きな転換が必要になってきます。ただ、それでも、インターネットでできることは五感のうちの視覚と聴覚だけで、味覚・嗅覚はいつまでもリアルの場が必要でありつづけます。また、オフィスの役割が変化しつつある中で増えてきた「交流の場」という姿は、本来はアフター5の居酒屋が役割をこなしていていたものです。そうした場のニーズは、今後もオフィス街からなくなりません。

 だからといって、これからも居酒屋に求めることは「幹事にとって楽で、どこにでもある大箱の飲み放題の箱」ではありません。「どこでもいいから個室で」なんて声が聞かれなくなる時代における、居酒屋に求められる姿を一緒に考えてみませんか。

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失われた30年、変化をやめた30年

 バブル崩壊後の膠着状態の中、働き方はいつまでもメンバーシップ型雇用を続け、多数派でいることを求められてきました。ビジネスパーソンに向けて事業を展開してきた居酒屋も、もしかしたら経済同様に、変化を拒む30年を過ごしてきたのではないかと筆者は考えています。

 9時から5時まで会社の机に座り、6時に居酒屋へ会社の人と繰り出していく。一人で飲む人はわずかで、多くは付き合いで飲みにいっていたはずです。苦手な上司にお酌したり、食べ物、飲み物にも明確な意思を持たずに、ただ並ぶものを食べて飲んで、ふらふらで家に帰る。そんな居酒屋に対して、「最近の若いもん」が苦手意識を持つのは当たり前です。こうして飲みにいって多数派であるために周囲の顔色を伺っていても、ビジネスパーソンの給与水準は上がらない時代が続きました。

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居酒屋も価格帯だけは変化してきました。下がる傾向に…。

 懐事情にあわせ居酒屋も価格を下げ続けていきます。500円から600円の価格帯の「大衆居酒屋」がもてはやされたのは、まだバブル時代の金銭感覚が残っていたから。その後も居酒屋の価格は下降を続け、「300円均一」の居酒屋チェーンが一世を風靡しました。それもつかの間、価格均一のチェーンをはじめた飲食会社はその後事業縮小が傾向にあります。

 次にはじまったのが立ち飲みブーム。それでもまだ今の「せんべろ」と比べれば、まだこの頃は居酒屋価格を維持していました。そこに、スーパーのお惣菜よりも安い200円未満で刺し身や煮込みをだす立ち飲みが誕生し、これが一気に浸透します。

 すると、これまで大衆居酒屋を運営していた古参の居酒屋チェーンも生き残りをかけて追いかけ始めます。こうしてできたお店は着席にもかかわらず、立ち飲みと同等の価格というサービスを提供します。価格競争はいま、限界まできています。それをポジティブなこととは考えられないレベルまで。

※もちろん、ここで上げたようなタイプ以外にも様々な価格帯のお店があり、それぞれご盛業もされています。

 失われた30年は、居酒屋にとっても価格下落を続けた30年。それに加えて、今後の都市部の飲酒需要はコロナが落ち着いても100%戻らないことが大いに予想されているわけです。3回転していた客入りや、部署単位の飲み会でどっと押し寄せる光景はおとぎ話の中だけになるかもしれません。

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 現在、ぐっと耐えしのいでいる居酒屋も、世界が正常化したとき、企業活動の変化(進化)に歩調をあわせて5年先へシフトしないと生き残りが難しいのではないか、とも考えられます。

求められる役割とは

 DX、ダイバーシティ、ジョブ型雇用へと企業がかわる中で、居酒屋はどう求められているのか。それとも、もう必要はないのか。

 現代版禁酒法という強引なやり方の中で、不幸中の幸いですが、多くの人々から居酒屋は求められていることがわかりました。そして、そうした意見はこれまで居酒屋をあまり好まなかった人々にも拡散し、飲酒シーンへ一定の共感があったように感じられます。

 人は居酒屋に飢えている(※という人もいる)。見ず知らずの人がいて笑ったり飲んだりしている様子を横目に、空間を共有していることに喜びを感じるのだと改めてわかりました。

 居酒屋に求められることは「共感できる場所」ではないでしょうか。オフィスにおける「共感」は、それはあくまで業務上のことであり、プライベート寄りの「共感」はそこにはありません。「人間のぬくもり」を共有し、お互いの波長をあわせる場所、それが居酒屋に求めることです。企業も、新卒一括採用から、多様化したジョブ型雇用に移行すれば、いままで以上に波長をあわせる場は必要になってくるはずです。暗黙知の共有には、五感を刺激する飲食・飲酒は欠かせませんから。

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 もちろん、「飲みに行かない」という人は今後も増えるでしょうし、それは飲食店としては取りこぼしてしまうのは仕方がないことです。

 ただ、「飲みに行かない人」にも、仕事と関連しない、プライベートで飲みに行く機会は今後増やせるものと思います。

「わかりやすく説明できる場所」である必要性

 例えば、「総合居酒屋いこうよ」といっても、まったく乗り気になりません。ですが「穴子の一本焼きが名物で!」とか「タン刺しが超美味しい」みたいな話を聞けば別です。「浜松町で食べた本マグロのスキ身が美味しかった!」みたいに、感想もできるだけ簡単に言えるようなわかりやすさが必要です。

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 だれかに共感してもらいたいから誘うし飲みにいった話をSNSで書く。そうしてお店のことを誰かに話してくれる人(お客さん)は、決してプロモーターでもコピーライターでもありません。だからこそ、お店で「これを話題の中心にしてみては?」というある種のお膳立てが必要ではないかと考えています。

 コンセプト居酒屋を突き詰める必要はないと思いますが、お店は個性をつくり、その個性をしっかりお客さんに伝えられる場が今後求められるでしょう。

もうオフィスワーカー相手は期待できない

 ネクタイ緩めて昭和のサラリーマンがそぞろ歩きで赤提灯に吸い込まれる時代はもう戻ってこなさそうです。大箱で続けるるならば、より機械化を進め、自動搬送と調理の簡略化が進むでしょう。サークルのノリとテンションで手をたたきながら誰かと大声で笑い合いたいというニーズはもちろんありますから、そういう人向けに一定数は残るとは思います。ですが、それは筆者にとって居酒屋の魅力とはもはや言えません。

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 DXが進むほど、人は居酒屋に「人」を求めると私は思っています。思いっきり属人的であってほしいです。あの人の店で飲みたいからどこそこへ行く、という考えがもっと増加するでしょうし、職場と家庭以外のコミュニティを人は求めてくのではないでしょうか。(Syupoというサイトはそこの魅力を伝えたいと考えて運営しています)

戦後の復興期に誕生した日本の多くの「老舗」と言われている居酒屋は、いま世代交代の真っ只中。3・4代目はデジタルネイティブ世代という店が、今後、家族が守り抜いてきた「歴史」や「地域・関連業者の結束」といった最強のコンテンツを全面にだして、DX時代らしい磨き上げられた属人的ビジネスを行うときがくるでしょう。そうしたとき、都心立地は決してリモートワークで負けた場所ではなく、人が集まりやすいコミュニティの中心地となり再度輝くことでしょう。

 デジタルで共有し共感したことを、より深く体感するためにリアルの店舗へ行く、そうした時代にもう進み始めています。

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