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227.終戦の日と、靖国神社にまつわる或る思い出

こんにちは。
今日は何の日でしょうか。

そう、終戦の日です。

この日は戦没者を追悼し、平和を祈念する催しが全国各地で開かれることになっており、東京では、日本武道館にて「全国戦没者追悼式」が政府主催のもと開催されました。

今年は、僕はYoutubeのLIVE中継を通じ、黙祷をしました。

この日になると思い出すこと

終戦の日になると、思い出すことがあります。
それは、およそ10年くらい前の話。

当時、仕事の関係で九段下近辺に行くことの多かった僕は、ある休みの日に「そうだ、せっかく近くに靖国神社があるんだから、一度参拝しておこう」という、割と軽い気持ちで参拝しに行きました。

初めて行った靖国神社の広さに感心しつつ、境内を歩いている途中、横から騒がしい声が聞こえました。

見ると、10人~20人くらい(うろ覚えなので幅がありますが)のお年寄りの集団が、途中にある休憩所のようなところで宴会をしていたのです。
お酒も入っていたのか、みなさん陽気に騒いでいらっしゃいました。

僕は「おお、こういうところで酒盛りか。元気なおじいちゃんおばあちゃんやな」くらいに思ってその場を通り過ぎました。

そして、参拝を終え、帰り道。
先ほどの休憩所のあたりの参道に、本殿に向かって横一列に立っている集団がいました。

「おっと、なんだろう?」と思ってよく見ると、なんと、先ほど宴会をしていたお年寄りたちだったのです。

先の陽気さが嘘のように、皆さん厳めしい表情で、背筋を伸ばして立っていました。

そして、一人のおじいさんが、こう叫びました。
「英霊の御霊に、敬礼!!!」
びっくりするほど大きく、よく響く声。
それはまさに号令でした。

この国に生まれ、生きて

そのときはただただビックリしただけでしたが、後々になって思い返すと、考えるのです。
「あの敬礼をしていたお年寄りたちは、どんな思いであそこに立っていたのだろうか」
と。


SNSやニュースを見ていると、この国に関する不満が日々、流れまくっている印象です。
かくいう僕も、増税やら物価高やらその他の様々な問題に対して、「おいおい勘弁してくれよ」と思うことも正直少なくはありません。

ただ、それでも、曲りなりにも日本は平和で、豊かで、独立国家であり続けており、その中に生まれ育ち生きていることは、本当に有難いことだと思います。

戦争をよしとするわけでも、兵隊として戦地に赴くことを賛美するわけでも決してありませんが、この国のために命を懸けて戦った人達がいること、その国に今自分が生きていることについて、少なくとも今日くらいは、噛みしめて考えてもいいんじゃないか、そう思うのです。

戦時、兵隊の方々一人一人が何を考え、どんな思いで戦っていたのかはわかりませんし、そこを美化しちゃうのはどうかとは考えていますが、それでもきっと、「この国の未来のために」あるいは、「大切な人の未来のために」という思いは、決して無くはなかったのじゃないかと思うのです。

だったら、その「未来」に生きる自分(たち)は、この先の未来に、何を残すのか。
毎日、仕事や人間関係や社会の愚痴を言って、日々の生活でいっぱいいっぱいで、そのまま人生を消費し幕を閉じるのか?

それが悪いとは言いませんが僕は嫌です。
でも、気を抜くとそっちに流れていく自分も痛感してます。
だからこそ、たとえ大きなことじゃなくても、何を残すか、何を成すか、もっと砕けて言うなら「どうなりたいのか」。
そこに日々焦点を当てて、めいっぱいの毎日を送っていきたいと思うのです。

もしも、あの世というものがあって、そこで、散っていった方々に会ったとして。そのとき、恥ずかしくならないように、日々頑張っていこうと思います。


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