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「今年一番聴いた曲」が自担曲ではなかったわたしの今年は一体何だったのか

夜中にいきなりさ、いつ空いてるの?ではなく「あなたが今年一番聴いた曲ランキング!」という旨の通知がきた。愛用しているLINE MUSICの通知だった。

普段はあまりそのような通知を開けることはないのだけれど、何となく気になってタップしてみる。「絶対トラジャでしょ」と思いながら。

わたしの応援するTravis Japan(以下トラジャ)は、今年の10月28日、念願の全世界配信デビューを果たした。自慢するわけではないが、LINE MUSICのいいね!第1号はわたしだった(トラジャ担の中で利用者率が低いだけ説)。

そこからほぼ毎日、聴かない日はない。リラックスタイムはもちろん、仕事中も運転中も散歩中も入浴中も。多くのトラジャ担がそうであるように、わたしもそんな感じでエンドレスリピートで聴いていた。

ところがLINE MUSICが表示したランキングは、アーティストにもジャンルにも共通点はなく、これまでのわたしからしたらあまりにも「???」が浮かぶラインナップだった。でもすぐに合点がいく。

あぁあのとき、約2か月フルで回しまくってるトラジャも敵わないくらいの日々を送っていたのか、わたしは。

何が起こったのかはっきり言うと、シンプルに自分史上最大の失恋をしたのである

別にわたしの恋愛事情なぞ誰も興味を持たれないと思うので詳細は話さないが、それはもうめっちゃくちゃしんどかった。プレイリストを作って、それを聴きながら夜な夜な必死で孤独に耐えていた。しんどかった。めっっっちゃくちゃしんどかった。

その闇はだいたい1か月ほどで落ち着いたのだけれど、それなのに約2か月毎日聴いているJUST DANCE!を凌ぐほど、わたしはあの時期、あの曲たちをひたすらに聴いていたのだ。どれだけ追い詰められていたのか、今になって分かる。

でもそのときは、さすがに何度も思ったことは覚えている。「如恵留くん、帰ってきて」と。

トラジャも一番がんばっている時期だ。アメリカでどんどん活躍していく彼らが眩しくて、誇りで、かっこよくて、みんなに自慢したかった。そして羨ましかった。

「如恵留くん、たすけて」と、真夜中にドライブをしながら、ひとりぼっちの車内で泣いている自分が惨めだった。
わたしは、こんなことで。失恋ぐらいのことで。なんで。悔しい。いやだ。如恵留くん。如恵留くん、会いたい。

悲しいかな、わたしはこのときトラジャの活躍を応援できるほどの余裕を、ほとんどなくしてしまっていた。

Twitterを見る気にならない。noteも開く気にならない。トラジャについて考えられることが、話したいことが何もない。
でも、ちゃんと公式だけは追っていた。それさえもやめると、この細い細い糸がプチンと切れてしまいそうだった。応援はできないのに、依存はしている。情けない話だ。「頼ってもらえる自慢のトラジャ担」になりたかったのに。

わたしはその月の質問箱に、初めて相談を送った。
ただでさえ多い質問の中で、こんな内容絶対に選ばれるわけもなく、そして如恵留くんの目に入る根拠もないと分かっているのに、出来事すべてと今の気持ち、そして「如恵留くんはどう思いますか?」という言葉を綴った。そうでもしなきゃ、壊れてしまいそうだったのだと思う。

その少し前、「ジャニオタよ、恋の話をしようじゃないか」という投稿を下書き保存していた。あとは微調整して投稿するだけの状態で眠らせていたことに、今日初めて思い出したのだけれど、7000文字くらいのボリュームなので勿体ないし折を見て公開したいと思う。

そこに綴っているのだが、わたしは自担にも恋をしつつ現実でも恋をする欲張り少女だったので、「自担か(現実の)好きな人か」みたいな葛藤は昔からない。何だかんだ言いつつ棲み分けをしていたから、恋人ができたから自担に興味なくなる、といったことは絶対に有り得なかった。

だからこそ悔しかった。別に興味がなくなったわけじゃない。担降りするレベルだったわけじゃない。先述のように、活動も活躍もちゃんと追っていたし、YouTubeだってちゃんと観ていた。如恵留くん大好きの気持ちもあった。

「あーわたしには如恵留くんがいるから! 大丈夫大丈夫!」という気持ちになれなかっただけなのだけれど、ただそれだけなのだけれど。

悔しくて、悔しすぎて、もはや何が悔しいのかももう分からなくなっていた。

年も年だから、この年頃の「失恋」と聞くと何となくしんどさの重量を分かってもらえると思う。だからといって、それはわたしの中で「オタク活動ができない理由」にはしたくなかった。

何というか、変なプライドみたいなものだった。

パートナーがいても、何歳になっても、どんな立場になっても、どんな状況でも、自担を応援している「オタク」としてのわたしが、わたしはいちばん好きだと思っているから。

「オタクしてると毎日が楽しい!」「オタ活がストレス発散だ!」とか言ってたくせに。オタクとしての心持ちを実感しては「はぁ今日も幸せだ」とか浸ってたくせに。「どれだけ自分の人生に自担が影響しているか」をべらべら語りたがるくせに。
結局は現実の感情に振り回されて、オタ活できなくなってるじゃんか。

そうか、わたし「オタクしてるとストレスがなくなる」んじゃなくて、「大きなストレスがないからオタクできる」んだ。

そんな自分に、この一年で気づかされたのだ。そんな自分を、この一年聴いていた音楽によって思い知らされたのだ。

仕事にストレスはもちろんあれど、仕事モードのときは心より頭が働いているので、どちらかと言うと「こういうとき、自担ならどうするかな?」と、相談相手のような感情になる(ここらへんは以前のnoteにも書いた)。
でも、失恋という感情100%の出来事を彼らに昇華することが、どうしても出来なかった。それは、結局「リアコ」になれない自分が、悪い方に影響してしまったからかもしれない。

「今日も健やかでいてくれてありがとう」
「今日も生きていてくれてありがとう」

わたしの好きな人は、常々そう口にする。その言葉の意味を、強烈に実感することになった。元気じゃなきゃ、あなたを応援できない。元気じゃなきゃ、あなたに目が向けられない。元気じゃなきゃ、あなたを好きでいられない。

「好き」にはものすごいエネルギーがある。自担を好きでいるだけで、何でもできそうなパワーが湧いてくる。
けれど、その分「好き」にはものすごいエネルギーを使う。そもそもパワーがなければ、自担を好きでいられない。

わたしの好きな人は、やさしい人だ。誰に対してもやさしい人。

こんなわたしでもいいかな。潰れてしまうときもあるけど、全力で応援できないときもあるけど、誇れるオタクじゃないかもしれないけど、あなたのことを好きでいてもいいかな。

わたし、のえ担名乗っててもいいのかな。

きっと、わたしの好きな人は「いいよ」と言ってくれると思う。「そういうときもあるよ、人間だもの」と言ってくれると思う。わたしの勝手だが、そういう人なんだと思っている。だから悔しかったのかもしれない。

如恵留くんは、どんなのえ担にだって、どんなトラジャ担にだって全力で愛を注いでくれるのに。わたしは、って。

わたしはずっと「自担に生かされている」と思っていた。でも違った。自担を好きでいられるのは、美味しいものを食べて、しっかり睡眠を取って、適度に運動もして、好きな人たちと楽しく過ごして、心も身体も健康でいる毎日があってこそだったのだ。

現実をきちんと生きてこそ、健康で文化的なオタク活動ができる。
「オタク活動をしているから、わたしは健康に過ごせている」ではなかったのだ。逆だった。わたしは、そういうタイプの人間だった。

めちゃくちゃしんどかったけど、これほどまで自分自身の内面と向き合ったこともなかったし、知らない自分にもたくさん出会った。知らない音楽にもたくさん出会った。
あのプレイリストたちに助けられたから、JUST DANCE!を心から楽しめているのなら、それはそれでOKなんだと思う。結果オーライってやつだ。

結局約1か月で状況は少しずつ好転し、日常を取り戻しつつあった。結局あの失恋は「失った恋」ではなく「失わずにすんだ恋」に落ち着いて、わたしの中のトラジャが占める割合も無事に戻ってきた。
そしてTravis Japanのデビュー当日、前日にしっかり眠ったわたしはその相手と美味しいごはんとお酒をいただきながら一緒に配信をみていて、機嫌は最高に良かった。

改めて、見ていると心が癒され、自然とニコニコ?ニヤニヤ?してしまって、あぁ大好きだなと思う。如恵留くんのことも、トラジャのことも。「デビューおめでとう!」と、ようやく心の底から喜べた気がした。自分が「のえ担」であると、しっかり誇りを持って言えている気がした。

「ねえ~~如恵留くんがかっこよすぎる~~~」と悶えるわたしの顔は、きっと、わたしがいちばん好きな顔をしていた。

さぁ来年は、Travis JapanがTOP3を占める年になりますように。
頼むよ、わたし。頼むよ、わたしのLINE MUSIC。

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