思い出したこと考えたこと

障害者の自立支援施設を利用して残されたの利用期間も半年を切りました。様々な年代の人が入所したり退所したりしていくのを見ました。そのひとりひとりが今までどのように生まれ育ち、どんな経験をしてきたのかは知りません。

ここで生活してきた2年で他人を理解しようと思うことはほぼなくなりました。しかしそれは必ずしも悪いことではなく、他者との距離を測ることができるようになったということだと日常的にどうしても耳に飛び込んできてしまう会話の端々から感じます。

『今は親が免許持ってるから病院に送ってもらえるけど親が死んだらどうしよう』と声の大きな女性が話すのが聞こえてきてよくわからないけど恐ろしくなったことがありました

その方の親御さんは70代だと言っていました。私にはその人が自分の通院のために母の体調を心配しているように聞こえました。70代といえば高齢者です。免許を返納するような年齢。本来なら親御さんが労られる側ではないのかなと思い、私にはその発言が老いた親を道具のように使ってるように聞こえました。そしてそれほど利己的に考えられるのが本当に不思議で『感覚の違い』が理解できず不安で恐ろしかったのです。

その人が自分の母と同年代であることも恐怖に拍車をかけました。私の母がちょうど祖父母の介護をする側に立っていることもあり連想してしまったのかもしれません。よくわからないけど衝撃でした。

しかし私もその人と同様に障害者で。そのうち自分もいつかこうなるのか?と考えて恐ろしくなりました。障害者という存在が親族や周囲の人を妨げる荷物のように感じて自己嫌悪や不安に駆られます。

いつだったかその人に年齢や両親の有無を聞かれ答えると『若いし親が生きてるなら大丈夫』と言われたことがありその言葉に対してよくわからない違和感を感じたこともありました。

そんなこともありながら今日まで多様な人々を眺めたり考えを巡らせ生活を行う中、最近ではようやく他人の気持ちを理解しようとすることの無謀さや険しさに気がついて、無闇に人の感情について考えないほうがいいのだという最善の在り方を手に入れつつある気がします。

大切な人の気持ちだけを考えることさえできていればいいんだと思えます。

疲れのせいか人に揉まれ過ぎたのか前述の怖かった記憶が蘇って気が重かったので書き出しました







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?