今週も帰りました

人の苦しみを代わることはできない
それはどんなに親しくても家族であっても

入院中の祖母が飲まないので母が持ち帰ってくる牛乳をもらってきた。3本も。
元々体の自由が効くときから祖母は水物を飲むのが好きではない人だった。なぜかというとトイレに行くのが億劫だかららしい。水分は摂らないと身体にも悪いのに。言っても聞かないのがお年寄りだ。
でも祖母の考えはなんか理解できる。自分の体が思うようにならないストレスというのはとても大きい。足腰が痛ければ動きたくない。

脳腫瘍手術で入院して頭を動かせなかったとき寝返りがうてなくてベッドと身体の接地面が痛くなるとその度にいちいちナースコールを押さなきゃいけなかった。一晩中まともに眠れないし眠りが浅い日が続いて毎日夜が長すぎて毎晩地獄みたいだった。夜が来るのが怖かった。
骨折の痛みや身動きの取れない情けなさ、苦しさも心細さは多分相当だろうと想像できる。
終わりの見えない入院生活は果てしなく恐ろしいだろう。88歳に老いてなお辛く寂しい思いを今祖母はしているんだなあ。

入院中、お見舞いに来た母に何回も「私が代わってあげたい」と言われたのを冷蔵庫にしまう牛乳を見て思い出した。
人の苦しみはそんな風に願っても代わることはできない。分けることもできない。100%その人だけが、本人だけが痛くて苦しい。それって本当に残酷だな。
骨折で入院してるんだから、祖母は牛乳を飲んだほうが絶対にいいと思う。でもきっとこれからも飲まないんだろうな。
私に牛乳が回ってくるのはいつまでだろう。
もうじき終わる気がしてる

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