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大義名分があればいいのに

大学に行くのも逃げだし、大学に行かずに途方も無い夢を追いかけ続けるのも逃げだ。
勉強は、それを活かして戦う前に置く休止符で、コーヒーは集中する前に置く休止符で、日記は寝る前に置く休止符。休んでいたら世界に置いてかれちゃうから、大学で4年間も学んでいいんだろうか、と思っちゃって、ずっと勉強に身が入らなかった。大学って逃げなんじゃないか。思考停止で、とりあえず大学いっとけばいいだろって社会の常識に従ってるだけじゃないかって。


最善の選択なんて取れない。堀江貴文の言う大学不要論は確かに合理的だし、受験勉強がうまくいかなかった私にはすごく魅力的だったけど、私は起業家のように力強くないし、やりたいことも見つからない。私は堀江貴文が好きだが、彼の本を読みながら自分に嘘をつき続けていた。やりたいことがないなんてあり得ない、という彼の話に私はうんうんと頷きつつ、やりたいことが見つからない自分の心を隠してた。小さな物体は、ありえないくらい大きな物体に引き寄せられて、その一部になる。小さな私に意思は介在しない。ただ頷いて復唱するのみ。

でも、私が大学不要論に賛同したのは、私の周りの人たちみんなが大学大学とうるさかったからだ。私はそれにバランスを取るように、大学なんて行かなくていいんじゃない? と唱えてきた。私の逆張りはいつだってバランスを取るためだ。悪魔の代弁者、道化。それらには確固たる意思があるように感じられるが、彼らもまた場の空気に踊らされているだけだ。コインを100枚投げて全てがウラである確率は奇跡に近いが、学年集会で集められた私たちは皆並び立って校長の話を聞いている。


本を読んで勉強するのは逃げじゃないか。
最近読んだ本は、福田恆存2冊、ロバートキヨサキ3冊、ブルーバックスの時間の終わりまで、WAGYUMAFIAのウルトラニッチ、イーロンマスク自伝、美手帖、星屑テレパス4巻、プロ野球経営全史、リーンスタートアップ、トランプ思考、堀江貴文を何冊か、経済の基礎本をいくつか、藤子F不二雄のSF、熟睡者、ブルーロック、闇金ウシジマくん、成田修造の本、完全図解宇宙手帳。
1日1冊以上は活字を読んでいる。合間にちょこちょこと漫画やソシャゲのストーリー、映画を見たりもする。
だけど、なんで本を読んでいるの? と聞かれたら、短い間なにも返せなくなる。
なんで本を読んでいるのか。大学に行かずに、かといって働きもせずに、終日ぶらぶらと本を読み歩いているのにはなんの意味があるのか。
私が椅子に腰掛けて読書をすることに罪悪感や焦りを感じるのは、私がいつかは大物になると志ながら何も行動をせず、知識ばかり蓄えているからだ。嫌なことをせずに、面白そうだと感じた本を読んでいるからだ。
このままじゃ『凍りのくじら』の若尾だな、と思う。


嫌なことはしなくていい、好きなことをすればいい。好きなことで稼ぐ時代だとよくいわれる。私はそうだそうだと感心して、今まで好きだったことに、「趣味レベルではいけない!」と意気込んで、辛いことを出来るだけ増やそうとした。結果それは辛いことになった。
好きなことをやっていると、罪悪感が襲ってくる。
大義名分があればいいのに。



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