出りょく 7

(前回のつづき)

幼馴染に
「そんな小さい頃のこと、よく覚えてんな」
と言われる。
小・中・高と同じだった彼は、自分が思い出せない当時のことがあると「あれ誰だったっけ?」「あそこなんだった?」などとたまに電話が掛かってきていた。
「ああ、それは4組の〇〇さんだね」と答えると「おお!そうだったそうだった!ありがと!またなー」といった具合だ。
その幼馴染とも小学校1・2年と5・6年は同じクラスだったが、3・4年だけは違うクラスだった。

小学3年生の時。
友達が「よく覚えてんな」という、その記憶は忌まわしい記憶だ。


担任となったその先生は、小学校の時の感覚なので正直何歳ぐらいだったのかは今となっては分からんが、当時の自分からすると「限りなくおじいちゃんに近い風体」の先生だった。ドラゴンボールに出てくる『シェン(神)』が白髪まじりで口ひげが無い感じだと思ってもらっていい(今思えばかなり似ているな)

「こんななりで…」というと、原作同様ヤムチャと同じように油断してボコボコにされる展開となるが、実際にボコボコにされた。ヤムチャは一撃で場外に吹っ飛ばされておしまいだったが、こちとら何日殴られたことか。蹴ってはいなかった記憶があるが、平手打ちなんてのはもう当たり前。自分が殴られたので一番痛かった記憶は、黒板用の1mの木製の定規で頬を殴られたとき。もう尋常じゃない痛みと恐怖。
そもそも、なんで殴られているのか?が全く理解できなかった。
「宿題を忘れた」「友達をいじめた」「授業中にふざけていた」などの理由で殴られたことは一度もない。
なぜならこの先生、そもそも授業をしないからだ。
ずーーーーっと黙っているのだ。
1限目から、その日の授業が終わるまで。
なので宿題も出ない。
その代わりに、授業とは別の何か、とても小学3年生には理解できないようなことを問いかけてきて、答えられないで黙っていると殴られるのだ。
もはやその問いかけは『地獄』でしかない。
心の中で「どうか当たりませんように…」とひしと祈ることが、授業中の大半だった。そして誰かがそれに当たるとホッとする。「ああ、とりあえずは助かった」と。しかし、そのあとは先生の暴行ショーを見続けることになる。あるとき、3年生全員が運動会か何かの練習で体育館に集まったときに、自分のクラスのあるひとりの生徒に対して急に怒り出し、他のクラスの生徒や先生がいる前で、立たせては足払いで倒す、また立たせては足払いで倒すを何度も何度も繰り返してドン引きさせたことも。
とはいえ、機嫌が良いときなのか、先生の問いにみんながうまく回答できたときなどには授業をすることもあった。あと参観日も。
しかし、普段ほとんど授業をしないので、その進捗具合は他のクラスと比べると遅々としているのは当然。
ある日、公園で遊んでいるとき、同じ団地の同学年の友達に
「今、算数でこんなのやってるけど分かる?」
と聞いたら
「え!?まだそんなことやってんの?そんなのもうとっくに終わったよ」
と予想外の反応と答えに子供ながらに驚愕したことがあった。

小学生3年生なんて、まだまだ全然子供ですよ。
それがこんなに体罰と恐怖で感情を抑圧されていると、休み時間や放課後は狂ったように開放的になる。もう大騒ぎさ。そして良くも悪くも宿題がない。「ちょっと本でも読むか…」とは全くならなかった。完全に読書から離れてしまったのは、まさにこのころから。そして圧倒的な勉強の遅れと、やらない癖がついてしまったのだ。(この時期にファミコンを購入してもらったのも遠因のひとつだけど)


ウチの小学校は3・4年は同じクラス同じ先生となるのだが、この先生はわずか1年で他の学年(おそらく5・6年生)を担当する異例の処置となった。今になって思えば、保護者や他の先生たち大人が何か裏で動いていたのかもしれない。その気配は実際あったような気がするし。

小学4年生になった我がクラスの生徒を担当した先生(通称クマさんと呼ばれていた)には、一体どんな風に見えたのだろうか?
何かに怯えて、常に伺い、おののいている視線や態度。そして恐らく、他のクラスと比べ低かったであろう学力。

クマさん先生は図工や音楽の授業が大好きで力を入れていた。参観日に音楽の授業をした先生は後にも先にもクマさん先生が初めてだったし、天気がいい日なんかは急に「今日は絵を描こう」てなこともあり、たくさん絵を描いた記憶がある。
これは大人になってから親から聞いた話だが、ある日の先生とウチの親との面談のときクマさん先生が「これを見てください」と言って自分の描いた絵を見せたらしい。それがどんな絵だったのかは記憶にないのだが、そんなものをモチーフしたわけでもないのに、真っ黒というか暗いを絵を描いていたらしい。クマさん先生は「何か心当たりはありますか?」と聞いたらしいが、当然身に覚えがあるわけもなく、かと言って当の本人に聞けるわけでもなく…ということがあったらしい(ちなみに当時虐げられていた話を友達や親に話したことは一度もない)

いやいや。
もう、そんなんひとつしかないでしょ。
昨年までのトラウマが絵に出ただけでしょ!と。

小学3年のトラウマを境に、読書はしなくなり勉強も宿題もあまり得意ではなくなったけど、小学4年生から卒業までの間の学校内の写生大会では毎年賞をもらえるようになり、読書も習慣化までとはいかないが小学校5・6年生のめんどくさい担任の影響で『マガーク少年探偵団シリーズ』を読み、図書室に置いてなかった続きは買ってもらって全部読んだってぐらいのめり込んだのも、何かしらの軌道修正というか自己補完が働いたんだろうなぁと。

小学3年当時のクラスメイトと今、あの『地獄』のようなときの話してみたいな。
けど、また言われんのかな。

「そんな小さい頃のこと、よく覚えてんな」って。

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