「難病になって何を学んだんですか....?」(8)最終回
(写真は2017年9月に撮影した伊江島で見たきれいな夕焼け)
シリーズを何回続けるか決めずに書き始めた
「難病になって何を学んだんですか?」
今回8回目で一旦終了することにしました。
病気になって何もできなくなり、
四六時中、頭はボ〜ッとしているとはいえ
考える時間が随分あり、学び直しなどをしました。
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
難病を発症して何を学んだかと尋ねられることが少なくありません。
これを読んでくださっているあなたの成長のために何らかの刺激になればと願ってしばらくシリーズで書きたいと思います。
発症直後に思ったこと
寛解したのが2020年の1月ですので、2016年7月から3年半の闘病生活をしていたことになります。
2016年に出張先で発症し、帰国後すぐに入院をしたときに思ったことがありました。
「このまま死ぬわけには行かないなぁ」
私の発症した難病は「紫斑病性腎炎」ですから、すぐに命の危険があったわけではありません。しかし、放置しておけば人工透析や腎臓移植に向かって急速に悪化していました。
まだ、道半ば。やらなければならないことが沢山ある。
人生の終わりに
「ありがとう」
とお別れの言葉を言ってこの世を去ることができないと思ったのです。
「神さま、まだ生きさせてください」と祈りました。
リーダーの最初と最後
米国の家具メーカー、ハーマンミラー社のCEOを務め、そのリーダーシップが認められ、Fortune誌のビジネス殿堂入りも果たしたマックス・デプリーがこう言っています。
「リーダーの最初の責任は現実を定義することである。
最後の責任はありがとうと言うことである。」
Max De Pree
この言葉を初めて聴いたときに衝撃を受けました。そして、その時以来、単にリーダーとしての責任を担っていることだけではなく、人生の最期にも「ありがとう」と言って別れを告げたいと心に決めました。
人生の終わりに悔いを残して「悔しい」でなく
あの人に、この人に、悪かったと「ごめんなさい」でもなく
成すべきことを成し遂げて
「ありがとう」と感謝して終わりたいと思ったのです。
ですから、難病が発症した際にも「ありがとう」といえるまで、自分はなにも成し遂げていないと思ったのです。
で、何を学んだの?
3年半の闘病生活で9回の入退院をしましたが、2020年1月の検査で血尿0 、蛋白尿0で寛解に至りました。コロナ禍が始まる直前のタイミングもさることながら、療養生活の中で必要だったマスクや手指消毒液が、既に自宅に常備されており、困ることはありませんでした。
感謝でした。
最初に入院した病院で、シリーズの(4)で書いたように、同室の方の一言により、主体的に病気に向かい合おうと思いました。
その病院を退院した後に、私の難病と基本的には同じ病気である「IgA腎症」を専門に治療している医師の治療法を知りました。その医師の治療法によって多くの人が寛解に至り再発もしていないことを知って、その治療を受けたいと思いました。そして、なんとその医師が私が住む東京の病院に指導のために1ヶ月に1回来院していることがわかり、その病院に転院しました。
私が寛解に向かい始めたころに、月一回の来院は終了してしました。ほんの数年の期間限定の来院だったようです。
感謝でした。
お世話になった最初の病院へ転院の希望を伝えた際にも、主治医の先生は理解してくれました。
そして、生体検査の結果やこれまでの記録等すべて転院先へ渡せるよう準備をしてくれました。
感謝でした。
仲間、友人知人、家族。これほどお世話になったことはありませんでした。
心から感謝しています。
最期まで行ってから、感謝するのではない
感謝し続けて、終わりまで行くのだ
なにも、病気をしなくても学ぶことのできるレッスンばかりであったと思います。
でも、学びの遅い私のこと。病気でもしなければ、深く理解することができなかったでしょうね。
最期まで読んでくださってありがとうございます。
これを読んでいるあなたも、
感謝し続けて歩んでください。
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