芦野 智亮
日記など
尊敬する人たちへの手紙風に
死生観など
ご無沙汰しております。 プロフィール画像を変更しました。
7月の終わりの日に 命に危険を感じるような猛暑や酷暑が続いている。 連日に亘り、各地からは熱中症になって救急搬送される報道、命を落とす報道が流れ込んでくる。猛暑や酷暑の恐怖は他人事ではない。 その一方でWeb上では『昔はこれほど気温が上がらなかった』『いや、記録を調べてみると、それほど変わりはない』と両論が交わされているが、自分自身の感覚では昔の夏に比べて変化したと感じる点がある。それは『朝はまだ涼しく、夕方や夜になれば気温が下がって涼しくなる』という点だ。 今
彦島を守ってくれた長州男児 山口県下関市生まれでありながら、貴台に強く惹かれ出したのがこの世に誕生してから38年、西暦にして2015年からでした。両親が離婚していなければ、僕の実家と呼ぶべき家のあった下関市彦島で育ったことでしょう。 両親の離婚によって遠くの茨城県に移住し、また、この地で生まれたといっても過言ではないほどの永い年月を刻んだ茨城県に住み続けている僕にとって、2015年は生まれ故郷に思いを馳せる1年となりました。 その年、僕と同じく下関市生まれの亡母の
Twitterのアカウントを持っているのですが、キャラを作っての運営をしているので、とっつきにくいと思います。 緊急用にマストドンのアカウントを持っており、こちらでは交流しやすいアカウントかなぁ、とも思っています。 宜しければ。 https://mstdn.jp/@tomoaki_ashino
どうせ同じ運命なら 僕は知る花の中ではどの花よりも桜の花に惹かれます。僕の生まれた季節を象徴する代表的な花であるとの理由もありますが、あの淡い美しさとその美しさを保ったままで散りゆく儚さに惹かれるのです。 季節は桜の咲く季節から晩春、初夏の季節に移った今日、今更ながらスマートホンで撮影した桜の花の写真を披露させていただきます。 この写真は今年3月下旬に自宅近くで撮影しました。当日は残念ながら花曇りであり、淡い美しさを1枚の写真に収めるには不向きな日でしたが、すでに
5月2日 今日から、25年前の1998年5月2日。 その日から、25年後の2023年5月2日。 来年も、再来年も、その次の年も……と僕の寿命が尽きるまで何度も訪れる「5月2日」は特別な日であり続けます。 あなたの歌声を初めて聞いたときの衝撃は生涯忘れません。 あなたの死を初めて知ったときの衝撃も、忘れたくても生涯忘れることはないでしょう。 あなたの生み出した歌は、これからも歌い続けられるでしょう。 あなたはあなたの生み出した歌を通じ、これからも生き続けるで
46 2023年4月6日、46歳になった。年齢をまたひとつ刻んだ。『45歳』という名の最低な1年に強引に区切りをつけ、『46歳』という名の再起を期す1年が始まった。その始まりを友人がささやかに祝ってくれた。 2022年6月から2023年3月4日までの僕は、生きて46回目の誕生日を迎えることができようとは想像できていなかった。45歳と数か月か、45歳と11か月で人生の幕を下ろすのだろう、と諦念に駆られていたからだ。『45歳』という名の1年を生きていた当時の僕自身は、それ
はじめに まもなく『45歳』のいう名の1年が終わる。自分自身の手で酷い1年にしてしまった。これまでも酷くしてしまった1年を数多く記憶に刻んできたが、この『45歳』という名の1年はそれらが霞むほど人生でもっとも酷くしてしまった年だった。 もしも、あのまま裏切り者のユダと同じ方法で息絶えていたら。もしも、あのまま浮浪者になっていたら。もしも、あのまま餓死を選択していたら。もしも、あのまま明日以降の生命の営みをキャンセルする手段を取っていたら。このように、もしも、を並べて振