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どうせ同じ運命なら

どうせ同じ運命なら

 僕は知る花の中ではどの花よりも桜の花に惹かれます。僕の生まれた季節を象徴する代表的な花であるとの理由もありますが、あの淡い美しさとその美しさを保ったままで散りゆく儚さに惹かれるのです。

 季節は桜の咲く季節から晩春、初夏の季節に移った今日、今更ながらスマートホンで撮影した桜の花の写真を披露させていただきます。

 この写真は今年3月下旬に自宅近くで撮影しました。当日は残念ながら花曇りであり、淡い美しさを1枚の写真に収めるには不向きな日でしたが、すでに花弁が散りつつあり、この機を逃したら今年の桜の花を撮影できないとの思いで撮影しました。

 写真をご覧のとおり、桜の花が枝ではなくて幹から咲いています。枝から咲かずに幹から咲いても、淡い美しさが喪失されずにそこにありました。枝から咲こうが幹から咲こうが、そのどちらでも淡い美しさを持って生まれることを僕は疑いませんでした。

 しかし、桜の花見となると視線はどこに奪われるでしょうか。殆どの花見客の視線は、枝から咲く幾多もの桜の花に奪われるでしょう。撮影するためにスマートホンのレンズを向ける方向も、それと同じ方向になるでしょう。かくいう僕もまた然りです。仮に幹から咲く桜の花があったとしても、枝から咲く桜の花に意識を取られ、その存在を知らないまま、その場から去っていくに違いありません。

 そして、いずれはその幹から咲く桜の花も枝から咲く桜の花も散りゆく運命を辿ります。

 故 渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』の題名を盗むわけではありませんが、人はそれぞれの居場所で精いっぱいになって生きていくほかなさそうです。誰もが羨むような居場所で呼吸をしている人も、他人が意識を向けなければ気付かないような居場所で呼吸をしている人も。ただ、どちらの人もいずれは人生を全うする運命を辿ります。

 桜の花は樹木のどこから咲こうが、淡い美しさを持って生まれて咲いて散っていきます。それと同じように、人はどのような居場所で呼吸をしていようが、尊い生命を持って生まれ、生き、人生を全うすると僕は信じています。

 どうせ同じ運命なら、幹から咲く桜の花が淡い美しさを失わずに咲くのと同じように、尊い生命を大切に抱えながら精いっぱいになって生きていきたい、とも思っています。

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