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大人の事情は、大人のものだから

週末、子ども向けワークショップのスタッフをしていました。

わたしは都会で育ったことがないので、『自由研究ワークショップ』と題されたイベントのその充実っぷりに正直びっくりです。はー、都会ではいろんな新しいものに出会える機会が用意されてるんだな、と。

とはいえ、わたしがやっていたお仕事はワークショップではなく、参加した子どもたちの親御さんにアンケートを書いてもらい、そのお礼に子どもたちにボディーシールを貼ることでした。

「ねえ、ママ! ボディシールほしい!やりたい!」
「えー、ママがアンケートするの? しょうがないわねえ」

というやりとりを見ながら、子どもたちにひたすらシールを貼っていきます。100以上もあるボディシールから好きなイラストを選んでもらい、貼りたい場所を選んでもらい、わたしが水に濡れたティッシュを渡す。ちょっとしてからティッシュとシールの台紙を剥がして、完成。文字にするとこれだけです。

でも、それだけの間に子ども性格や親子関係なんかが透けて見えるから、興味深く作業をしていました。

例えば、

「じゃあこの中から好きなの選んでね」
「えー、ねえママどれがいい?」
「ママに聞かないで自分が好きなの選びなよー」
「じゃあちょうちょにするー」

とか。

「じゃあこの中から好きなの選んでね」
「えー、ねえママどれがいい?」
「そうねえ。ママはこのユニコーンがいいかな」
「じゃあこれ」

とか。

「じゃあこの中から好きなの選んでね」
「うーんとねえ、この満月のにする!」
「いいね! かっこいいじゃん!」
「なんでそんな地味なの選ぶの? ユニコーンのほうがかわいいじゃない」
「(おかあさん、そんなこと言わず……!)」
「でもお月さま……」
「お月さまかっこいいよね」
「えー、でもユニコーンかわいいよ。ユニコーンにしたら?」
「(おかあさんよ……)」
「…………じゃあ、それにする」

とか。

それぞれの家庭に正解があるからわたしが何を言う筋合いも権利もないんだけど、「いやいやそうですか……」と思う場面にも何度か出会いました。ドラマ『トクサツガガガ』を見ているみたいな場面が現実にあったんだよ……。女の子でもかっこいいシール選んでいいじゃないか。女の子だって暴れたいってプリキュアも言っていたぞ。

とはいえ、その親子にとってわたしは通りすがりのただのスタッフなので、できるだけ子どもたちの肯定感が下がらないような振る舞いを気をつけていました。どのシールを選んでも「いいね!」とか「かっこいいね!」とか「うん!かわいい!」と伝えて、台紙を剥がしたときにも「いいじゃん!」とか「今日の服にぴったりだね!」とか、とにかく彼らの選択が間違っていないと伝えていました。彼らの人生にとってわたしができることなんてそのくらいです。

時には顔にボディシールを貼りたいというお子さんといっしょに鏡の前に行き、鏡を見ながら台紙を剥がしたときには『ぱあぁぁぁぁぁぁああ』と文字が浮かぶような笑顔にも出会えました。

他にも、
「じゃあこの中から好きなの選んでね」
「これ! キツネ! 顔に貼るの!」
「いいね! かっこいいじゃん!」
「えー、ママはユニコーンのほうがかわいいと思うけどなあ」
「ママのかわいいとわたしのかわいいは違うの!いっしょにしないで!」

そんなふうにきっぱり言い切る女の子もいました。かっこよかったです。シールを貼ったあとのお子さんの笑顔を見たママもなんだかんだその子の『かわいい』を認めていた感じがあったので、いっそうすてきだなとわたしは思いました。

これは本当に、家庭の問題だから通りすがりのわたしが何を言えるわけでもないんだけど、純粋でやわらかい子どもたちの感性を(法や倫理を侵さない限り)わたしは大事にしたいなあと感じたのです。

大人の事情はあくまで大人の事情なのであり、子どもにも子どもの主張や事情がある。大人はそんなことを忘れていると、子どものころから思っていました。

「うるさいな。大人にはいろいろあるんだよ」って返す大人には死んでもならないって思ってわたしは生きてきたので、これからもやっぱりそうします。




改めてそんなことを思ったので、備忘録として書き留めました。

おやすみなさい。

読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!