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23/5/22_自分が不必要になったとき

こんばんは、多部栄次です。

不穏なタイトルではありますが、私にとって結構重要な題材かと思いますし、もしかしたら他の人にも思い当たる節があるかもしれません。前もって言いますが、ネガティブな話ではなく、前向きな話です。

もちろん、自己や人という存在として不必要だとか一切ありません。人間誰かが必要としてくれていますし、自分にとって自分自身が必要不可欠ですから(?)

話を戻し、問いたいのは仕事をするにおいて、何が一番仕事をしたといえるのか。どんな基準で真に貢献したといえるのか。

仕事の究極形はその仕事をなくすことにあると私は考えてます。利益や貢献はどうしたのだといわれそうですが、それらを視野に入れているからこそ、従業員である自分がいま取り組んでいる「作業」を「仕事」に変え、「仕組化・規則化」へと還元、そして「仕事」として扱われないくらい常識化させる必要があると思います。そうすることで次に進めるんですよ。

自分がいないと成り立たない仕事から、自分がいなくても動く仕事へとルールチェンジする。これが「仕事」をしたといえるのではないかと、最近感じています。新卒が言う台詞じゃないので説得力は皆無ですけどね笑

その最たる例がAIだと今は言えそうですね。

最近はOpenAIの発達が著しいです。自動化どころか代替して仕事してくれる領域にまで達しつつあります。自分が専門としてきたこと、これ一本で食ってきたことがAIに代替できるようになっています。自分じゃなくても自分の声と見た目を作って何かを言わせて、編集させて発信させることもできます。最早、自分がやらなくてもいい時代になっています。自分である必要性がなくなったとき、多くの人は壁に立たされるでしょう。

これを嘆くのか、乗り越えるのか。それとも迂回して別の道を見つけるのか。

これは自分の内面が問われるかと思います。環境がそうなったから自分は苦しいとか、不安になるとか、(もちろんありますけど)それらに依存してはずっとそのままな気がします。ピンチに思うかチャンスと思うかは自分の心の在り方次第です。

手紙を一通ずつ届け続けるか、メールで一斉送信するか。手工業で布を織るか、機械の扱い方とメンテナンスを学んで自動化を使いこなすか。今はその瀬戸際に立たされています。僕はAIを使いこなしたいですね。

人って何だろう。
人間って何だろう。
自分ってなんだろう。

これらは今後、自分の中で問われていくでしょう。AIという最先端だけでなく、かつての知の巨人たちが向き合い続けた哲学も学んでいく必要がありそうです。

素敵な写真をお借りしました。nagata_tetsurouさん、誠にありがとうございます。
それではおやすみなさい。明日もよい一日を。



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