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24.02.21_勝ちは実り、負けは育む

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

鬱に関して治ったと言われたころが少し懐かしいですね。今はぶり返していろんな抗うつ剤や精神安定剤を飲んで様子見といったところです。立つのもしんどいですね(健康を理由に自宅での作業はスタンディングデスクでやるので椅子は使わない主義)。でもそういう薬なんだと思います。あれこれ考えすぎてパニックになったり思いつめたりと、神経伝達物質が過剰に分泌されるので、それを抑制して思考を鈍らせる。眠気も起こさせて眠れば考えなくて済むし脳も休まる、という効果なんだと思います。知らんけど。

さて、そんな自分ですが勝ち負けや勝負事は正直なところ苦手な節がありまして、どうも負けた方の状況を考えるんですよね。自分が勝てたら、よりももし負けたらどうなると考えるタイプです。スポーツの試合も勝ったチームより負けたチームの気持ちを考えたりします。賭けで勝負していた大学時代、ひたすらに負け続けて奢る日々を繰り返していた思い出も関係あるかもしれませんけど。

だからといって勝負自体が嫌いではありません。それが必要なケースもありますし、それによって得られるものも大きいでしょう。勝っても負けても、得られるものは同じくらい大きいものです。

失敗は成功の基ではないですけど、敗北も次の成長へ繋がるんですよね。ただ、何も準備なしに負けてはもったいない。仮説を立てて、準備もしっかりして、必死に練習した上で負ければ、それは人として大きく育むことができると僕は思います。まるで大樹のように。

一方で、勝った方も成長につながりますが、育むというよりかは今までの努力や過程が形になって実るものだと捉えています。その実ったものはどういう色であれ、形であれ甘酸とした芳醇さを醸していることでしょう。なんかよくわからないこといいましたけど、果実が実れば、次はそこから生まれる種を育てていくことにつなげていく。その機会が、勝利をつかんだ人にあるのではと思います。まるで果実の生る木のように。

こう二元論で例えましたが、要は勝敗は人の捉え方次第で今後の行動が決まると言いたいのだと思います。こだわり過ぎず、しかし成長のためだと関心をもっていけば、前に進めるのかなと思ったり。

自分はどうなんでしょう。だけど本当に負けたときって自分にとって必要で、それでできることなのにしない選択を取ったことなのかもしれません。いや、それも一つの正解として生き続ければ、それもまたひとつの勝利かもしれませんね。結局、ゲームみたいに自分の価値観で何かの勝敗を決められるほど、単純ではなさそうです。

素敵なイラストをお借りしました。infocusphotoさん、ありがとうございます。

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

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