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23/6/22_頭1割、手9割の現実

こんばんは、多部栄次です。
気まぐれ日記やっていきましょう。

一応学位取得させていただいた以上、(土俵に立ったに過ぎないとはいえ)化学の専門家、研究のプロとして自負し、振る舞っていくべきだと教わったのでそうしていきたいとは思っています。

でも一本を極めていけるほど現実はそう甘くなく、その一本を極めるために、他の伸びている枝葉も成長させていかないと本命にたどり着けないこともありまして。要は化学以外にも機械工学や電気電子、品質管理や統計、経理会計を現在学んでいるところです。さすがに同時進行は僕のキャパでは継続不可能なので1,2個に絞ってはいますが、いずれすべて取り入れていきたい所存です。

一見バラバラですし中途半端に終わりそうですが、すべてひとつの目的のためなんですよね。そんでどれも極めようとは思ってません。入口に立ち、その界隈の人の会話になんとかついていける程度の許容量が欲しいんですよね。あるいはアンテナ張れるために勉強してます。

全く知らない世界で頭抱えてますが、新しい知識を入れるのはなんと楽しいことでしょうか。なので誰に強制されているわけでもなく、自分で自分を追い込んでいる状況と言えばその通りではあります。

ただこのとき思ったんですよね。知識だけ取り入れたところで技術が身についたわけではないんじゃないかと。技術という塔を建てるために資材や人手だけ揃えても建物は建たないんですよね。机上や座学だけではダメなんだといえばだれもがそうだというとは思いますが、実際気が付くとどっちかに偏っちゃうんですよね。僕の場合は経験不足の頭でっかちタイプです。

手を動かすという経験がなければ知識も定着しないですし、集めた資材を組み立てることができません。

同僚の職人さんにも教わったのですが、「知識一割残りは経験。知ってても手を動かせなければ使えない」とのことで、いろんな意味で刺さりました。

資格取得や座学は手の動かし方を学ぶための入り口に過ぎないんだと思います。

逆に言えば、頭の良し悪しは関係ないということです。とにかく経験がものをいう業界であれば、目的とパッションがあればいいんですよね。手段なんて後からついてきます。まずは手を動かせ、背中を見て真似ろと。

なんだか昭和の空気を感じますが、それを悪いこととして邪険にするのも違うと思うんですよ。根性論の押し付けは良くありませんが、自らを高めるには根性論(メンタル)もないと始まらないというのも否めません。

どうも、アカデミックのように理論体系だけではどうにもならないことがあるんですよね(理系に怒られそうな発言)。いや、アカデミックの実験でも理論じゃ説明できないことなんてしょっちゅうありますし、それを半ば無理やり理論づけて論文にすることも珍しくありませんけども(師に怒られるぞ)。企業の現場なんてなおさらだと思います。

やみくもに手を動かせばいいってわけでもないのが難しいところではありますが、考えすぎるのも考え物だということです。バランスですね。

理想は頭を使って手を動かす、ですね。以下の二冊を参考に考えてみると良いかもしれません。仮説を立案して、こうすればこういう結果になるのではないか、これをやれば目的に近づけるのではないかという思考で取り組むと上達が早くなると思います。

反復練習で技能を身に着けるにしても、自分の中で意味を見つけて、どうしたらもっと効率的にできるか、どうすればもっと上に行けるかと考えてみるといいと思います。

技術において知識は一割。ですがその一割がなければ何も始まりませんし、残り9割を身に着けることもできません。最初4割の経験を身に着けても残り4割の経験にたどり着けないこともあります。

逆に経験なくして知識を活かせない。そう肝に銘じていきたいです。

謙虚に、素直に、地道に学んでいきたいと思います。

素敵な画像をお借りしました。syuheiinoueさん、ありがとうございます。
それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

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