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23.3.18 苦しい道を選ぶ理由

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

歴史や経験、人の教えや本から学び、それを糧にすることを自分は勧めていますし、自分もそれに伴う行動をするよう励んでいますが、ただその中に自分の感情や意見がなかったのかもしれないと先日気づきました。要は人の考えや価値観に振り回されているだけなのかもしれないと。その上で自分の意見というのは形作られるんでしょうけど、自分の気持ちを尊重してないリスクもなくはないんですよねこれ。最も、それに気づけたのが友人の指摘だったので、とても自分だけでは把握できなかったなと感じます。

何のために生きているのか、自分はどうしていきたいのか。
劣等感ばかりかかえる僕は、博士号を取得しても尚、自信をもてずにいますし、うつ病になったにもかかわらず、周囲の言葉を鵜呑みにして甘えに過ぎなかったのではと思う時もありますし。自分を大切にしてなければ、自分を客観的に見つめられていないのは確かにそうだと思います。

どれだけ頑張っても、そんな自分を褒めず、認めず、他の方がもっとすごいし頑張っていると思っている以上、自信つくはずがないよなと。

さて、そんな話と関連するのかわかりませんが、自分をもっていないのならば、なんで博士課程に行ったのかという話に辿り着きますねたぶん。それじゃあ今この場にいるのはぜんぶ周りがそうしたからという一言で済むのか。自分は利用されたのか。

もちろんそうではないですね。すべて、自分の選択によって決まったことです。周囲の皆さんは、その自分の決定に対し、ご厚意の元、ご協力してくださったのだと思います(もちろんそれだけではありませんが)。
自分の決めた道を尊重してくださった以上、その皆さんに対して感謝したいですし、恩を返したいとも思います。

その上で、自分は本当は何をしたいのか。何を目的にその道を選んだのか。それは公私含めるといろいろあります。でも、今回は周囲のためや社会貢献という話を抜きに、自分自身はどうしたいのかという点に着目してみましょう。

まぁそもそもそれが第一なんですけどね。僕の場合、周囲が第一になっているので、こうやって文にしないとすぐに自分を捨てちゃいますからね(って言ってる割には自分勝手なとこあるけど)

僕自身の感情はこれからどうしていきたいのか。やめた方が良いと言われた博士課程に行ってまでどうしたかったのか。あとついでに、なんでわざわざ苦しいと思う方へと向かうのか(これ本当に周りからよく言われます。ドMかと疑われたほどです)。

まずひとつに、成長できる、夢を叶えたい、自己実現したいと感じるのはそうなんですが、そう感じる理由を考えてみると以下にまとまるんじゃないかと。

・かっこいいから
・後悔しないと感じたから
・好奇心

しょうもないですね(笑) でも個人の生きる理由や前に進む真の理由なんて正直そんなものじゃないでしょうか。

もちろん、大義名分や誰かの役に立ちたいというのも立派な理由ですし、それが本当にすべてだという方も少なからずいらっしゃると思います。ただ、僕はかっこいい人になりたいから、あえて苦しくつらい道を選択しようと思っています。まぁ、誰かの役に立ちたいことや必要とされたいことは生き物として備わっていますので、その欲求も確かに根強くありますけども。

以上、タイトルに応えるならば、かっこいい自分になって、後悔しない人生を送るためだと僕は答えます。そのためにも、もう劣等感を抱えたり、自信なさげに振舞うのはやめていきたいと思いますね。そういった弱い自分も認めて、受け入れた上で強くなっていきたいですね。

素敵な写真をお借りしました。koukinodiaryさん、ありがとうございます。それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

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