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ただぼーっとしたくて、只見線

子どもを幼稚園に送り出し、いつもの出勤と変わらない時間に家を出た。天気は昨日まで梅雨の中休みで晴が続いていたが、今日からまた雨模様に戻っている。駅に着くと、いつも乗っている東京方面とは逆の列車に乗り込んだ。今日は休暇を取っている。ただぼーっとしたくて、只見線に揺られようと思った。

切符は東北本線を北上し、郡山まで。そこから磐越西線に入り、会津若松から只見線を走破。上越線で大宮まで戻ってくるという大周りの片道切符を事前に購入している。こうすることで、どこか途中で切符を分けるよりも安くなるのだが、実際、今回の旅行は日帰りで、ほぼひたすら電車に乗っているだけだから、むしろ実態に即していると言えるかもしれない。

只見線は新潟県の小出から福島県の会津若松まで、山間部を抜けていく全長135.2キロの長大なローカル線だ。高校3年生の冬、受験が終わって一息つこうと、小出から乗り通したことがある。確かそのときは大雪で、窓の外は真っ白だったのを覚えている。その後、只見線は水害によって線路が流され、最近まで長期間の不通が続いていた。沿線人口も少なく、ただでさえいつ廃線になってもおかしくないような路線だったから、これはもう乗る機会がないかもしれないとあきらめかけていたが、福島県は路線存続に積極的で、奇跡的に復活を果たした。それが去年の秋。もともと知る人ぞ知る景色の良いローカル線で、日中に乗り通すことのできる本数は片手で数えても指が余るくらいだから、休日は混むに違いない。従って、チャンスは平日と、そのタイミングを虎視眈々と伺っていた。

小山で東北新幹線のなすの255号に乗り換える。各駅停車タイプのなすのに乗る機会自体、あまり多くないが、自由席はビジネス客で混みあっていた。那須塩原あたりから東北らしい風景が広がり、新白河でほとんどの乗客が降りていった。このなすのの終点である郡山からは、2両編成の磐越西線の普通列車に乗る。郡山の市街地を抜けると列車は中山峠を超える雄大なカーブが続き、途中の中山宿駅の手前では、旧駅のスイッチバックの跡が見えた。会津若松の盆地に入り、山頂が雲に隠れた磐梯山が見える。

喜多方ラーメンの原形を彷彿とさせるマルタ食堂の中華そば

ちょうど会津若松に着いた頃に雨がやんだ。只見線の列車まで30分ほど時間があるので、マルタ食堂という駅前食堂に入る。昭和の時代から変わらない雰囲気の、まさに駅前食堂で熱々の「中華そば」を大急ぎですすり、駅に戻ると2両編成の只見線のディーゼルカーは予想に反してかなり混みあっていた。中高年の旅行者や小学生の集団も乗っている。

ディーゼルカーはゆっくりと会津若松の街を抜け、西若松で会津鉄道と分かれると、田園風景が広がった。集落があると駅があり、「へ」の字型の屋根の家が目立つ。高校3年生のときは、この辺まで来ると夕暮れで、外の景色をあまりはっきりと見た覚えがない。会津坂下から沿線は山深くなり、会津坂本で小学生の団体が慌ただしく降りていった。どこまで行くのだろうと気になっていたが、随分長いこと列車に乗っていたことになる。

会津柳津から団体が乗車してくるという放送が入る。駅前広場には観光バスが2台停まっている。今では只見線も、普通列車ですらしっかり観光資源になっているようで、大きな鉄橋を渡るときには速度を落として走るほどだ。観光化するのは少し複雑な気持ちだが、私だって沿線住民ではないし、これで只見線廃線論が少しでも遠のくのであれば、多少の車内の騒がしさには目をつぶろう。会津宮下で会津若松から乗っていた団体が下りていき、駅前に停まっているバスに乗り込んでいった。ここから只見線はダム湖の湖畔を行く。

雄大な川に沿って走る只見線

目の前に川が広がる早戸駅でまた小学生の団体が乗ってきた。列車が発車するとしきりに川の方に手を振っている。何があるのかと見てみると、渡し船が見えた。これで対岸から渡ってきたらしい。宿泊体験学習でこの近くのキャンプ場に泊まっていたらしく、子どもたちは興奮気味だ。一人がトイレに行きたいと言うと、我も我もと続く。引率の先生も大変そうだ。

会津中川で会津柳津から乗っていた団体客が下り、会津川口で早戸から乗っていた小学生も下りていった。ここで列車交換のため30分ほど停車する。会津川口の駅には売店もあり、ホームから川面を眺められて、只見線の旅もここで小休憩だ。やっとボーっとするという今回の旅の目的が達せられた気がする。

川が間近に迫る会津川口駅で小休止

再び列車に揺られ、只見に着いたのは4時半。ここで半分近い乗客が下車していった。列車は長大な八十里越えトンネルを抜けて、新潟県に入る。最初の大白川では、対向列車が交換待ちのために停まっていた。1両だけの車内はガラガラ。おそらくこれが、只見線の日常の姿なのだろう。

分水嶺も超えて、川はダム湖のゆったりした流れから、急峻な谷を切り裂く渓谷に変わった。終点の小出まで、只見線の旅はもう少し続く。

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