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わたらせ渓谷鐵道間藤駅

ときどき、そう、運が良ければ月に1回くらい、仕事のスケジュールがぽっかり空いて「今日は何もすることがないな」という日ができるときがある。そんな日は隙あらば1日会社を休んで、たまにはいつもとは逆方向の電車に乗って、ふらふらしたくなるものだ。

そんな日が5月の終わりにもたらされた。天気はあいにくの雨模様だったが、チャンスが次にいつ来るかは分からない。毎朝のルーティーンをこなし、今日も無事に子どもを幼稚園の送迎バスに乗せると、そのまま家を出て駅へ向かった。いつもなら都内の会社に向かうところを、今日は反対の電車に乗る。

さて、今日はどこへ向かうか。

雨ではあるが、久しぶりに山の緑をぼんやり眺めたいと思った。

久喜駅でJRから東武に乗り換え。コーヒーを飲みながら時間をつぶす。やってきた特急りょうもう号は平日の昼間とあってか、かなり空いている。埼玉県から群馬県の館林に入り、一度栃木県の足利市に立ち寄ると、再び群馬県の太田市へ。田園風景の割合が少しずつ増えていき、JR両毛線を越えると、脇から東武線とは明らかに違う細いローカル線が寄り添ってきて、りょうもう号は終点の赤城の手前にある相老という小さな駅に止まる。

こ線橋を渡り、そのローカル線のホームにたたずんでいると、ほどなくして茶色い1両だけのディーゼルカーがごとごととやってきた。「わたらせ渓谷鐵道」、通称「わ鉄」。これに乗るのは、小学生のころに父と一緒に乗りに来たとき以来だ。

相老からしばらく進むと車庫のある大間々。まるで山登りの前に息を整えるように、ここで少し時間調整をして、列車は渡良瀬川に沿って山の中に分け入っていく。かつては国鉄足尾線として、足尾銅山からの貨物を運搬する目的で開設された歴史があるこのわ鉄。今では足尾銅山も閉山し、貨物列車こそないものの、シーズンには観光用のトロッコ列車が設定されている。

車輪をきしませながら右へ左へ、川の流れに忠実に従いながら、勾配を稼いでいく。集落も基本的に川に沿って点在しているから、駅があるとその周辺にはそこそこ住宅も広がるが、乗ってくる客はあまりいない。雨も上がり、日が差してきた。線路際の草や木から、みずみずしい緑が降り注がれる。

途中の水沼駅で途中下車。ここは駅舎の中に日帰り温泉がある。平日の真昼間から風呂に入る酔狂な人間は田舎でも少ないようで、一人で大浴場を満喫する。露天風呂から顔を出すと渡良瀬川が見下ろせるが、さっきまで降っていた雨の影響で、川は茶色い濁流だったが、そこにいちゃもんを付けることもないだろう。

次の列車までは1時間ほど時間があるので、食堂でもつ煮込みを注文し、誰もいない大広間でNHKの連ドラを横で見ながら、ふろ上がりのビールを一杯。誰の目も気にすることなく、自分のペースで。これがどれだけ貴重な時間であるかを、20代の自分は分からなかった。

再び列車に乗り込み、長いトンネルを抜けて栃木県に入ると、どこかさびれた足尾の町が広がる。終点の間藤に降り立ったのは、いずれも中年の旅行者ばかり。私を除く全員が、折り返しの列車で戻っていった。

私はというと、駅の目の前にあるバス停を見つけ、日光行きのバスがそこから出ていることを確認すると、しばらく駅のベンチで読みかけの文庫本を開きながら、時間をつぶす。足尾町は平成の大合併で日光市の一部になり、1日に6本、足尾の町と日光駅を結ぶバスが走っている。以前から時刻表に載っていたこのバスに乗ってみたかったのだ。

やってきた小型のバスに、乗客は私一人。すぐに山を登り始めるが、道の両端は段々畑のようになっていて、かつてはここにも町があったことがうかがえる。高校の跡地は太陽光発電所になっていた。本当に同じ自治体の中を走っているのかと不安になるほどの峠越えをして、バスは清滝から日光の市街地に差し掛かる。さすがに東照宮周辺は観光客の姿も見かけるが、このバスには誰も乗ってくることがなかった。

ここから帰るには東武鉄道の方が便利だが、私はJR日光線で宇都宮へ出ることにした。貴賓室もある重厚な駅舎。そういえばここも、小学校の修学旅行で来て以来かもしれない。電車は新しいものになっていた。水を張った田んぼを眺めながら1時間ほど電車に揺られ、帰宅する高校生で車内が込み合うと、やがて宇都宮。

改札を出て駅前をぶらぶらしながら、さっと入れそうな餃子屋を見つければ、今日はもう言うことがない。

○旅程
久喜10:26→相老11:29 特急りょうもう7号
相老11:37→水沼12:03
水沼13:46→間藤14:45
間藤15:37→JR日光駅16:13
日光16:19→宇都宮17:02
※宇都宮から宇都宮線で帰宅

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