見出し画像

中小企業の姿に見る デザイン経営が果たす社会的役割

 今、なぜ、デザイン経営なのか。
 世の中はデザイン経営に何を求めているのか。

 「デザイン経営」宣言には、デザイン経営の役割について、次のように述べられています。

 日本は人口・労働力の減少局面を迎え、世界のメイン市場としての地位を失った。さらに、第四次産業革命により、あらゆる産業が新技術の荒波を受け、従来の常識や経験が通用しない大変革を迎えようとしている。そこで生き残るためには、顧客に真に必要とされる存在に生まれ変わらなければならない。そのような中、規模の大小を問わず、世界の有力企業が戦略の中心に据えているのがデザインである。一方、日本では経営者がデザインを有効な経営手段と認識しておらず、グローバル競争環境での弱みとなっている。

経済産業省・特許庁「デザイン経営」宣言 P.1より抜粋

 そして、政策提言の冒頭には「『デザイン経営』を推進し、日本の産業競争力を強化するため…」と明記されており、日本の企業がデザインを活用して、国際的な競争優位性を取り戻すことを目的としてることが読み取れます。

 ところが昨年7月に特許庁から公開された「中小企業のためのデザイン経営ハンドブック2 未来をひらくデザイン経営×知財」では、対象が中小企業にフォーカスされているという違いもありますが、デザイン経営を再定義し、その目的にも変化(広がり)が生じているように見受けられます。

 「デザイン経営」を再定義すれば、“徹底して「人間」に向き合うことで持続力を高め、環境の変化に適応する経営(=人間志向の経営)”と言うことができる。ここでいう「人間」は、顧客だけを指すものではない。経営者自身や従業員、社外の仲間や地域社会、さらにその外側に広がる社会までも含めた存在だ。この「人間」に徹底的に向き合いながら、「人格形成」「文化醸成」「価値創造」に取り組むことで、企業の競争力と共創力を高め、ひいては持続力を向上させる。デザイン経営の目指すところは、いわば「三方よし(売り手によし、買い手によし、世間によし)」の世界だ。

特許庁発行「中小企業のためのデザイン経営ハンドブック2」P.4より抜粋

 今年度も各地で、中小企業のデザイン経営関連プロジェクトに関わらせていただきましたが、そうした中で、新たに感じるようになってきたことがあります。
 それを明確に意識するきっかけとなったのが、今年度の関西デザイン経営推進事業に参加された、姫路で100年間マッチを作り続けている株式会社日東社さんを訪問させていただいた際の体験です。

山陽電鉄 八家駅

 日東社さんの本社工場は、姫路から山陽電鉄で約15分、八家(やか)という駅から歩いて7~8分くらいの場所にあります。駅からは古い家並の間の曲がりくねった細い道を抜けていきますが、途中には小さなお寺や神社が街に溶け込むように存在しています。そこにフッとあらわれるのが日東社さんの本社工場で、ごく自然に、街の一部を形成している印象です。
 播州は古くからマッチ製造が盛んで、日東社さんがある東山地区にもマッチメーカーが5社程度あったそうですが、今では全国でも2社となってしまい、そのうちの1社である日東社さんが国内市場の8割程度の供給を担っているとのこと。そんなマッチとともに歩んできたこの地域では、昔から灘のけんか祭りが超重要なイベントだそうです。そこには、産業と生活、文化が渾然一体となって存在している姿が垣間見れるように思えました。

産業・生活・文化は渾然一体

 そんな姿を見せてくれたのは、日東社さんだけではありません。
 成果発表会に登壇された織物壁紙のトップメーカー・小嶋織物株式会社さんの本社工場も、そこに暮らす人々が築いてきた産業・生活・文化の歴史が滲み出ているような独特の佇まいで、同じようなつながりを感じずにはいられませんでした。

小嶋織物さんの本社工場(Googleマップのスクリーンショット)

 そう、そもそも産業と生活と文化は、切り離して存在するような性質のものではなかったのではないか。
 産業とは、金儲けや競争に勝つために始まったものではなく、人々のくらしを支え、より豊かな生活を実現するために、各々の役割を分担して、自分にできることに取り組むことから起こってきたはずです。
 あたりまえのことではありますが、本来、産業とは人々の生活を支えるために営まれているもの。
 そしてその人々の生活が、その地域ならではの文化を生み出し、町の個性を育んでいきます。
 さらにそうした地域の文化は、人々の気質や行動に影響を与え、地域の産業を特徴づけて、その地域ならではの存在感のある産業を発展させます。

産業・生活・文化は相互に作用して発展する

 ところが、経済発展に伴って産業の意義が肥大化し、その成長が自己目的化するようになると、ひたすら効率化を求めて、渾然一体であるはずの産業・生活・文化が分離されていくようになります。
 産業は、工業団地やオフィス街へ。
 生活は、新興住宅地やマンション街へ。
 文化は、博物館やテーマパークなどの文化施設へ。

効率化を目指して分離される産業・生活・文化

 三者の分離は、それぞれにどのような影響を与えたのでしょうか。
 産業を構成する企業は、文化的背景が希薄になり同質化し、その個性を失って、機能や価格の競争に振り回されるようになった。
 生活者は「仕事として」産業に関わるようになり、自宅と職場を機械のように往復して、働く意味を見失いがちになっている。
 文化は、日常と離れた特別なイベントや学習の教材となり、日常性を失いがちになっている。
 それぞれのつながりが失われることで、どれも何のためにやっているのかが見えにくくなってしまっています。

 先月山形で開催したワークショップでは、ご参加くださった布施弥七京染店の名物専務・布施将英さんが、山形の課題として「面白い人が少なくなっている」ことを指摘されましたが、こうした三者の分離、特に文化の日常性の喪失こそが、面白い(funnyではなくinteresting)人を減少させる要因なのではないでしょうか。

 以前に比べ、「何のために働いているのかわからない」といった、働く意味を問われる機会が増えているように感じますが、産業が起こった当時は、そんな疑問なんて生じる余地などなかったのではないかと思います。人が何のために働いているかって、皆が困らないため、協力して豊かに暮らせるようにするために決まっていて、わからないなどというはずはないのに、産業(仕事)が生活や文化と分離されることによって、そのリアリティーが失われてしまっている。そうしたリアリティーの喪失こそが、「働く意味問題」を引き起こしてしまっているのではないでしょうか。
 たとえば日本の大手メーカーを訪ねても、パソコンが並び、数字が飛び交うオフィスでは、ものづくりのリアリティーを感じるのは困難であろうと思います。
 リアリティーを感じられない職場と、そこから離れた住宅地を往復する生活も、働いていることの意味=お金に結びつけ、「働かされている」感を生じさせがちになってしまっているのではないでしょうか。
 自らは参加者ではなく鑑賞者となりがちな文化も、リアリティーを失って、アーカイブの対象と見られるようになっているのではないでしょうか。

 そうした中、地域で頑張っている中小企業に魅かれるのはなぜだろうか?
 それは、産業・生活・文化の渾然一体としたつながりを、垣間見れることが多いからではないか?
 少なくとも産業の領域ではリアリティーがあり、社長と打合せをしていても隣で機械の大きな音がしていたりするし、工場でモノが出来上がっていく様子を日常的に目の当たりにすることもできます。製造の現場や商品の仕分けなど、現物に触れることができる機会も圧倒的に多いです。
 分離が徹底された大手企業のオフィスに比べて、明らかに「何のためにかわからない」感が生まれにくい環境ですが、そうした中でも実際の用途が見えにくい部品や素材を製造する中小企業では、仕事の意味を可視化したいという思いから、自社製品を開発したいというニーズが出やすくなっています。

 といったあたりからデザイン経営の話につながってくるのですが、「デザイン経営の好循環モデル」における「価値創造」を「産業」に、「人格形成」を「生活」に、「文化醸成」を「文化」に置き換えてみると、ピッタリとハマることに気づかされます。
 一人ひとりがその企業で働く意味を再認識することで、企業文化や地域・ステークホルダーとのつながりが醸成される。そうした周囲からの協力も得て、地域や企業の文化に裏付けられた、機能や価格の競争力ばかりに依存しない、個性的な唯一無二のプロダクトやサービスが創造される
 徹底的に人と向き合い、自社の存在意義をあらためて問い直すデザイン経営の取り組みは、分離が進んでしまっている産業・生活・文化のつながりを取り戻すことに、重要な意味があるのではないでしょうか。

「デザイン経営の好循環モデル」
特許庁発行「中小企業のためのデザイン経営ハンドブック2」P.3より抜粋

 ただ、産業・生活・文化のつながりを取り戻すとはいっても、懐古趣味的に昔のような地域社会に戻ろうと言いたいわけではありません。
 新たに形成される産業・生活・文化のつながりは、現代のテクノロジーが活かされた、より進化した姿になることが望ましいだろうし、物理的な距離に制限されることなく、人が人にしかできないことにフォーカスしていけるような、そんな新しい形を探っていくことになると思います。

産業・生活・文化を新しい形で結びつける

 はじめのほうに、産業の目的は「人々のくらしを支え、より豊かな生活を実現する」などと書きましたが、そもそも「豊かさ」とは何なのだろうか?
 今の自分が考える豊かさとは、この産業・生活・文化が結びついた、人がリアリティーを感じながら生きられる状態です。もちろんこれに対しては、多々異論があるでしょうが、自分の中では腹落ちしており、デザイン経営の指針になるものとも思っています。 

 デザイン経営ということにとどまらず、そもそもデザインという行為自体が、そうした概念を包含しているはずです。
 対象がプロダクトであるにせよ、グラフィックであるにせよ、サービスであるにせよ、経営であるにせよ、社会であるにせよ、こうした産業・生活・文化のつながりをさまざまな形に表出させ、人々の暮らしの豊かさを追求することこそがデザインの本質であり、今の時代にデザイン経営が求められている理由なのではないでしょうか。デザイン経営への注目は、社会のモードが分離の方向からつながりを取り戻す方向へと変化し始めている兆しではないかとも感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?