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現代人が忘れつつある「持つことのありがたみ」

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「借りる」と「持つ」です(本記事は2021年10月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています) 

 図書館をよく利用している私。いつも、「無料で本が貸してもらえるとは、何とありがたいことか」と思うものです。

 物書きは本を買っていただくことによって生活していますので、皆が図書館で本を借りることになったら、食べていくことができません。ですから、
「酒井さんの本、いつも図書館で借りて読んでます!」
 と言われると、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになるのですが、とはいえ図書館に行くことによって「本を読む」ことに親しむのは素晴らしいこと。子どもから高齢者まで、誰もが楽しむことができる図書館に行く度に、気持ちが和みます。

 資料として昔の本を読みたい、けれど古本で買うととても高い、という本を図書館で借りることが多い私。近所の図書館であってもかなり幅広い資料を探すことができ、いつも助けられているのでした。

 借りては返す、図書館の本。その行為を繰り返していると、「『借りる』の反対語は『返す』だけではないのかも」と思えてきます。図書館で借りた本と、自分で買って所有した本とでは、何となく自分にとっての意味が違ってくるもので、ということは「持つ」とか「所有する」もまた、「借りる」の反対語なのではないか、と。

 「借りたもの」と「持っているもの」とで意識が違ってくるという意味では、家なども同様でしょう。賃貸の部屋と買った部屋とでは、愛着が違ってきそう。

 しかし所有しているからといって必ず愛着が増すとも限らないようで、「所有」しているという感覚を持ったが故に、かえって粗略に扱うケースもあるのでした。例えば男女の関係においても、付き合っている間はこの上なく優しかった人と結婚したら、急に「釣った魚に餌はやらない」的な扱いになった、という話はよく聞くもの。

 借りているという状態は、どこか落ち着きが悪い。本当に欲しいものなら、所有したい……のだけれど、所有した途端に他のものに目がいったり、飽きてきたりする。

 これは人間にとって実に厄介な問題ですが、しかし今の若者達は、その辺りにうまく対応しているように見えるのでした。若者達は、たまにしか使わない車もレジャー用品もブランドバッグも、
「買うのは馬鹿馬鹿しいので、借りてまーす」
 と言っていましたっけ。レンタルを上手に利用して、「所有」する物を減らしているというのです。

 色々な物を「持つ」ことが豊かになることだった時代がありましたが、私達はそんな中で、「持つ」ことのありがたみを、忘れていたのかもしれません。何でも自分で所有することが当たり前になってしまった結果、持っている物を大切に扱わないようになってしまったのではないか。

 そういえば私も、図書館を利用すると同時に、自分が属する出版業界のためにと、せっせと書店で本を買っているのです。が、買うことに満足してしまって読む行為が追いつかず、ふと気がつけば大量の本が「積つん読どく」状態に……。

 本にとって「読まれない」ということは、「釣った魚に餌はやらない」と同じ状態なのかも。どれも面白そうだというのに放置状態の本達に対して、「申し訳ない!」と、心の中で謝る日々なのでした。
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003 年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』(KADOKAWA) など。
 

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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