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年をとるのは悪いこと? 「年を重ねる」という言葉に抱く違和感

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「とる」と「重ねる」です(本記事は2020年11月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

「年をとる」という言い方を、あまり耳にしなくなりました。今、「年をとる」の代わりに便利に使用されているのは、「年を重ねる」という言い方でしょう。
 
 化粧品や健康食品のコマーシャルでは、
「年齢を重ねたあなたに」
 という呼びかけによって、商品の宣伝がなされています。
「年をとったあなたに」
 では聞こえが悪い、ということなのです。
 
 しかし私は、
 「年齢を重ねたあなたに」
 と、自分の世代へ向けた「年齢化粧品」とやらが宣伝されているのを見るといつも、もやっとした気持ちになるのでした。その手のコマーシャルでは、
「もう、年齢なんて気にしない!」
  といったことも叫ばれていますが、「年をとる」を「年を重ねる」などと言い換えていること自体が、「年齢を、ものすごく気にしている」ということの証左ではないか、と。

  「年をとる」の「とる」という語自体が、悪い意味を持っているわけではありません。

  しかし、世の人々に横溢する「年をとるのは嫌なことだ。できる限り若くありたい」という心理が、いつの間にか「年をとる」という言い方に、悪い響きをもたらしました。その結果、「別の言い方をしなくては」ということになって、「年を重ねる」が頻用されるようになったのだと思う。

  とはいえ「『年をとる』と言ってはならぬ」という感覚こそが、年をとることへの悪印象を強めている気がしてなりません。年齢という数字が増えていくことを、誰しもがつらく悲しく、そして恥ずかしく感じている、という思い込みが、そこにはあるのではないか。「年を重ねる」という言葉に含まれている同情のような哀れみのような響きが、どうにも好きになれないのです。

 アメリカの大手企業に勤める知人は、
「社内では、他人の年を聞いたりすることはタブー」
 と言っていました。上司や同僚が何歳なのかも知らないのだ、と。もちろんそこには年齢差別をなくすとか、年齢はプライバシーに属するといった感覚もあるのでしょう。しかしその手の行為を徹底するアメリカという国こそが、年をとることに対する恐怖心を最も強く持っている気もするのです。若さを愛するあまり、かの国の人々は年齢を見ないようにしているのではないか、と。

 「重ねる」という言い方は、確かにめでたい感じがするものです。何か素晴らしいものが着実に積み上がっているムードも漂うのですが、我が身を振り返ってみると、年を本当に「重ねて」いるのかどうかは、甚だ疑問。賽の河原での石積みのように、重ねようとしては崩れ……を繰り返し、いまだ中身はペラペラであるからこそ、「年を重ねる」という言い方に、もやっとした気持ちを抱くのかもしれません。

 「重ねる」などという言葉は自分には不向き、と思っている私は、一人で密かに「堂々と年をとる」活動をしているのでした。年齢を隠すことなく、
「年を重ねてきた中で私が思うことは……」
 といった言い方も、しない。年齢がただの記号であるのならば、記号ごときを晒すことに躊躇したくないものよ、との思いを持って年をとり続ける、54歳なのです。

酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003 年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『日本エッセイ小史』(講談社)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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