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人は死ぬとどこへ行く? お坊さんが語る「死後の世界」

 言うまでもなく、死は避けたいものです。しかし、永遠に生きることはできません。では、この世の命が尽つきたら、どこに行くのでしょうか?それについての話は、世界中で語られています。これは、「死ぬとどこへ行くのか?」が人類の関心事であり続けているということです。日本でも古くから、さまざまな言い伝えがあります。その中には、ロマンを感じさせる話も見られます。

さまざまな「死後の世界」


◉黄泉の国
 日本古来の思想に、亡き人が黄泉の国に行くというものがあります。『古事記』や『日本書紀』に、このような神話があります。伊弉諾尊と伊弉冉尊は夫婦になり、その間に日本の国土やさまざまな神々が生まれました。しかし妻・伊弉冉尊は、火の神を生んだことで命を落とします。そこで夫・伊弉諾尊は妻に再び会うために、黄泉の国に行きました。
 黄泉の国とは地下の世界だという解釈が一般的です。ただし異論があり、殯(埋葬するまで遺体を安置すること)の場所ではないかという説があります。
 
◉日本武尊の白鳥伝説
 亡き人の魂が上空に向かうという考えも、古くからありました。日本武尊(倭建命)が白鳥となったという伝説が、『古事記』や『日本書紀』にあります。

 日本武尊は景行天皇の皇子で、天皇の命を受けて日本各地で戦い、大和政権の勢力を広げます。やがて、伊吹山(岐阜県・滋賀県の県境)での戦いの後に体調を崩して亡くなり、能褒野(三重県亀山市)に葬られます。すると、日本武尊の魂が大きな白鳥となって空を飛び、大和(奈良県)や河内(大阪府)を経へて、はるか上空へ飛び去っていきました。

 なお、『日本書紀』にはこのような話が続きます。日本武尊は父より先に亡くなったため、弟が次の天皇になりました。成務天皇です。成務天皇には子がなかったので、日本武尊の子が後を継ぎました。仲哀天皇です。仲哀天皇は即位すると、父を偲ぶために、各地から白鳥を献上させました。
 
 この伝説は歴史上の出来事の形を取っていますが、神話的要素が強く、どこまで史実を反映しているのか、定かではありません。登場人物が実在ならば4世紀と推定されますが、実在したかどうか、不確かです。
 
◉聖徳太子の天寿国
 6世紀半ば、仏教が日本に伝来します。すると、死後の行き先の概念に仏教の影響が見られるようになります。聖徳太子(574~622年)の伝記『上宮聖徳法皇帝説』は、聖徳太子が亡くなった時に、妃・橘大郎女が推古天皇に述べた言葉を伝えています。現代語訳するとこのようになります。

  私の夫は、世間虚仮仏是真(世間は虚仮なり、ただ仏のみこれ真なり)と申していました。その教えを味わってみると、夫は天寿国に生まれたのでしょう。

 実は、この「天寿国」が謎です。なぜなら、天寿国という言葉は仏典に見られないからです。阿弥陀仏の極楽浄土という説が有力ですが、弥勒菩薩の兜率天や、どの仏と特定せず漠然と「仏の世界」を指しているなど、複数の説があります。いずれにせよ、「世間虚仮唯仏是真」の続きに現れることを考えれば、仏教にもとづいていると見て差し支つかえありません。
 
◉『万葉集』の浄土
 
聖徳太子については、仏教の影響が見えます。しかし、これで仏教的な考えが広まったかというと、そうではありません。奈良時代に成立した歌集『万葉集』には、亡き人を偲しのぶ和歌が多数収録されています。そこに示されている「亡き人の行き先」について、宗教学者の故・堀ほり一いち郎ろう氏(東京大学教授)は以下のように分類します。
 
(1)山に隠れる。(2)天に昇る。(3)海に鎮しずまる。(4)樹木・草花につく。(5)野に鎮まる。(6)川や谷に鎮まる。(7)黄泉など他界に行く。
 
 この世のどこかにいるという見方が大半を占めます。とくに多いのは、山や天に向かうものです。これらの歌は、仏教的とは言えません。

 とは言え、『万葉集』に仏教の影響が皆無というわけではありません。『万葉集』巻5に、このような漢詩があります(『万葉集』には和歌だけでなく漢詩もあります)。

 愛河波浪已先滅、苦海煩悩亦無結。従来厭離此穢土。本願託生彼浄刹。
[読み下し]愛河の波浪は已先に滅え、苦海の煩悩も亦また結ぼほることなし。従来この穢土を厭え離す。本願をもちて生を彼の浄刹に託せむ。

 「浄刹」とは浄土のことです。ですからこの詩には、穢土(迷いの世界)を離れ、本願(すべてを救うという阿弥陀仏の誓い)によって、次の生を浄土に託す、という内容が示されています。作者名は記されていませんが、国文学者の中西進氏(国際日本文化研究センター名誉教授)は、山上憶良(660?~733?年)と推定します。この他に、作者を大伴旅人と(665~731年)とする解釈もあります。いずれにせよ、奈良時代の貴族社会に浄土教の思想が伝わっていたことがわかります。

 なお『万葉集』の写本のうち、最も古い完本は「西本願寺本」と呼ばれます。かつて西本願寺の蔵書だったためです。同本は、現在は一般財団法人石川武美記念図書館の所蔵となっています。
 
◉天に帰る
 先ほどの通り、『万葉集』に浄土教的な漢詩があります。しかし、死後の行き先について、仏教的な考えが主流になったわけではありません。平安時代の史書『続日本後紀』に、淳和天皇(786~840年)の遺詔(天皇の遺言)が記載されています。その一節に、次のようにあります。

予聞く、人没すれば精魂天に帰す。空しく冢墓を存さば、鬼物憑く。終に乃ち祟りを為し、長く後累に貽す。今宜しく骨を砕きて粉と為し、これ山中に散ずべし。

 これは、「人が亡くなると、魂が天に帰ると聞く。空しく墓を残せば、あやしいものが取り憑き、後々まで祟りを残す。だから私の遺骨を砕いて粉にして、山の中にまいて欲しい」という意味です。

 これについて、「天皇の遺骨を散骨するというのは前例がない。それに、陵(天皇の墓)は宗廟であり、宗廟がなければ後の者は何を仰げばよいのでしょうか」という意見が出されました(ここには、墓とは故人とつながる場であるという認識が見て取れます)。

 結局は、遺詔の通りに散骨され、陵は作られませんでした。幕末になって各地の天皇陵の修復事業がなされた際、散骨された地に大原野西嶺上陵(京都市西京区)が築かれています。歴代の天皇の中で、遺骨が散骨されたのは淳和天皇だけです。

 ここで注目したいのは、「人が亡くなると、魂が天に帰る」という箇所です。これは、中国の古典『礼記』の一節「魂気天に帰し、形魄地に帰す。」(魂は天に、肉体は地に帰る)を踏まえたものでしょう。中国伝来の思想でも、亡き人の魂が天に向かうとされていました。
 
◉浄土教の広まり 
 平安時代中期になると、浄土教の思想が広まります。こうして、死後の行き先について「浄土(仏の世界)に往生する」という、仏教的な見方が広まることになりました。「往生」とは「(浄土に)往って生まれる」の意味です。

 そして、浄土に往生した人々の伝記が製作されました。これら一連の伝記を「往生伝」と総称します。なお、浄土については後ほど改めてお話しします。
 
◉天国
 現在、世間では死後の世界を「天国」と呼ぶことが多くなっています。この言い方はどうやら、昭和初期に広まったようです。
 
 1932(昭和7)年5月9日、20代の男女の心中遺体が発見されました(坂田山心中事件)。ほどなく2人の氏名や住所などが判明し、未婚の男女であることがわかります。この2人は、夫婦のように一つの墓に葬られました。同月13日、これを東京日日新聞(現・毎日新聞)が「天国に結ぶ恋」の見出しで報じました。この見出しをつけた故・岩佐直喜氏は、2人がクリスチャンであることから考えついた、と後になって語っています(事件当時の紙面では、2人が教会で出会ったと記されています)。

 事件の翌月、これを題材にした映画「天国に結ぶ恋」が公開され、同名の主題歌と共に大ヒットとなります。映画や歌は心中を美化して描いており、後追い心中が続出する事態となりました。この後、他の事件でも「天国」という言葉がメディアで多く使われています。

 死後の世界を「天国」と呼ぶことは、直接的にはキリスト教の影響です。ただし、日本には古くから、亡き人の魂が天に昇るという考えがありました。だから、「天国」という言葉が受け入れられやすかったのでしょう。

仏教ではどう考えているか?


◉生前の行いで行き先が決まる
 では、仏教は「死ぬとどうなるのか」について、どう説いているのでしょうか?

 仏教では、さとりを開いていない者は輪廻する(生まれ変わりを繰り返す)と説いています。輪廻について、「死んでも終わりにならないのは、良いことだ」と思われるかも知れませんが、仏教(を含めた古代インドの思想)では、生まれ変わることは良くないことと理解されていました。なぜなら、「生まれ変わりを繰り返す」ことは「死を繰り返す」ことでもあるからです。

 生まれ変わる先は、生前の行いによって異なります。行いが良ければ天(神々の世界)などの良い世界、悪ければ地獄など悪い世界です。ただ、天であれ地獄であれ、永遠にそこにいるわけではありません。天にも地獄にも、寿命があります。寿命が尽つきれば、また別のものに生まれ変わります。つまり、天に生まれても、いつかは死にます。だから、天も迷いの世界(苦が伴う世界)の一つであって、理想の世界とはされません。

 そこで古代インドの思想では、天に生まれることでなく、輪廻しなくなる境地を理想とするようになりました。その境地を「解脱」と言います。解脱に到達すれば、死(に代表されるすべての苦)を繰り返さなくなります。これは、すべての苦から解放されるということです。これが、さとりの境地です。ここに到達することが、仏教の目的です。

 さとりを開いていないと、生まれ変わります。では、さとりに到達したら(すなわち、生まれ変わらなくなったら)、死後どうなるのでしょうか?実は、それについて仏教の統一見解はありません。「さとりを開いた人は、命尽きた後どうなるのか?」という質問に、お釈迦さまが「今の苦を解決することが先決だ」として回答しなかったという話が伝わっています。
 
◉生まれる先は仏の世界
 後の時代になると、仏の世界の存在が説かれるようになります。浄土です。仏教の経典にはさまざまな浄土が説かれます。なかでも、阿弥陀仏の世界である極楽浄土が広く信仰を集め、浄土と言えば極楽を指すようになりました。極楽以外の浄土として、阿閦仏の妙喜浄土、薬師如来の浄瑠璃浄土などがあります。なお、親鸞聖人は阿弥陀仏の世界について、基本的に「浄土」の語を用いています。『阿弥陀経』という経典には、極楽について「西方にある」「苦がないため、極楽の名がある」などと説かれています。『無量寿経』という経典には、阿弥陀仏が建てた48の誓い(四十八願)が示されています。その11番目(第十一願)に次のようにあります。

 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。
(わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り、必ずさとりを得ることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。)
*正定聚…さとりを開くことが決定している仲間。

 すべての人をさとりの境地に導くという、阿弥陀仏の誓いです。親鸞聖人は、これを「必滅度之願」と名づけられました。「必ず滅度(さとり)に至らせる誓願(誓い)」という意味です。これがあるため、私たちは必ずさとりの境地(すべての苦を離れた境地)に到達します。

 私たちは阿弥陀仏の導きによって、次は浄土に生まれます。だからこの世で別れても、いずれはさとりの世界の一員となって再会します。これを『阿弥陀経』は「倶会一処」(ともに一処に会えする)と示しています。そして親鸞聖人は御消息(お手紙)に「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」(浄土で必ずあなたをお待ちしております)と記しています。私たちの行き先は、すでに定まっているのです。
 
[コラム]生者の近くにとどまる死者
亡き人の魂が生者の近くにとどまっている話は、古くからあります。たとえば『万葉集』巻16に、亡き人が人魂となって漂よっているさまを詠んだ歌があります。

人魂のさ青をなる君がただ独り逢あへりし雨夜の葉非左思ほゆ
*「葉非左」の読みは未解明。

 後の時代、亡き人が幽霊になってこの世にとどまっている話が、さまざまな所で語られるようになっていきました。とくに江戸時代になると、それが顕著です。

 ただし、幽霊はいつまでもこの世にいるわけではありません。何かのきっかけで(怨みを晴らしたり、供養を受けた場合が多いようです)、人前に姿を見せなくなります。幽霊は、死後の世界に行くまでの一時的な姿のようです。

(文/編集委員・多田修)

[参考文献]
池田房雄著「後追い二百件「天国に結ぶ恋」の呪縛」(文藝春秋『「昭和」の瞬間』所収)
井上亮著『天皇と葬儀』(新潮社)
岩佐直喜著「私の新聞づくり40年 第1回 天国に結ぶ恋」(日本新聞協会『新聞研究』1965年4月号所収)
勧学寮編『浄土三部経と七祖の教え』(本願寺出版社)
勧学寮編『親鸞聖人の教え』(本願寺出版社)
倉野憲司校注『古事記』(岩波書店)
今防人著「観光と自殺―昭和八年、伊豆大島・三原山における投身自殺の流行を中心に―」(流通経済大学『流通問題研究』第23号所収)
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』(岩波書店)
釈徹宗著『死では終わらない物語について書こうと思う』(文藝春秋)
高岡弘幸著『幽霊 近世都市が生み出した化物』(吉川弘文館)
高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』(思文閣出版)
谷川健一著『常世論』(講談社)
中西進校注『万葉集』(講談社)
花山信勝・家永三郎校訳『上宮聖徳法皇帝説』(岩波書店)
馬場紀寿著『初期仏教』(岩波書店)
日野昭著「天寿国の考察」(『龍谷大学論集』第423号所収)
藤田宏達著『原始浄土思想の研究』(岩波書店)
堀一郎著『宗教・習俗の生活規制』(未来社)
柳田国男著『先祖の話』(KADOKAWA)
柳田国男著『海上の道』(KADOKAWA)

※本記事は『築地本願寺新報』に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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