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多摩地名の由来 追分町

地名の謎 追分 (2)

 「追分」とは道が二つに分かれるところという意味で、全国各地に地名として残っています。
 八王子市の追分町は市の駅中心から西寄り、高層マンションが目立つ住宅街です。甲州街道と陣馬街道との分岐点で、江戸時代にはすでにこの地名で呼ばれていたといわれます。1912年(大正元年)に千人町と久嶋町の一部を町名改正によって、正式な行政地名となりました。
 二つの街道の分かれる追分交差点には道標が立っています。これは1811年(文化8年)に江戸の足袋職人、清八が高尾山に銅製五重塔を奉納した記念に、新宿、八王子、高尾の3追分に建てた道標のひとつで、「左 甲州道中高尾山道」、「右 あんげ道」と記されています。この日は1945年(昭和20年)8月2日の八王子空襲で破損し、一部が行方不明となっていましたが、2003年(平成15年)に新しく石を補充し復元されました。
 例年11月に行われる八王子いちょう祭りは、この追分の交差点から高尾駅前の交差点まで約4キロの甲州街道のいちょう並木が主会場。21日のクラシックカーパレードはスタート地点になります。いちょう祭りで追分にお出かけの際には、何気なくたたずむ道標を確認してみてください。     (『よみうりSunTAMArea』2010年11月号)

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