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小説は事実よりも真なり

天道是か非か 司馬遷


2014年8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に出席した。

それは43年ぶりという、雨天の最中における式典だったが、報道によれば、国内外からおよそ4万5千の人間が参列したらしい。たしかに、そのくらいの数の人間は、認められたかも知れない。約37,000坪の平和公園内に設けられた、『一般席』の最後尾ら辺にやっと座れたものの、そこからでは式進行の様子など、ほとんど何も見えないくらいだったから。

広島市市長、総理大臣、国連事務局長などによる、多くのスピーチがあって、最後に平和の歌を合唱し、全てが終了した。私にとっては、生まれて初めて参加した原爆式典だったけれども、もう二度と、おとなう事はないだろうと確信した。なぜなら、その一切が、まったく何という特筆すべき感慨も無きままに、終わってしまったからである。43年ぶりにこの日に雨が降ったという、きわめて凡庸な偶然以外には…

その日は、仕事が休みだったので、夜は元安川(もとやすがわ)の灯篭流しを見に行こうと思っていたけれども、形骸化した式典に落胆した私は、予定を変更し、隣の福山市まで出掛ける事にした。早朝に降った大雨による影響で、新幹線以外の電車には軒並み遅延が発生していたため、余分にお金を払っても新幹線で行く事にした。その車内で読んだ本が、中島敦の『李陵』であった。

時に、2014年といえば、第二次安倍内閣が「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」、なかんずく「集団的自衛権」の行使を容認する閣議決定を行い、その是非を問う議論が、巷でも盛んになされた年であった。一般国民向けに、首相官邸から配信されたSNSによると、「なぜ、今、集団的自衛権を容認しなければならないのか?」という問いかけに対し、こう答えてあった。

「今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増す中、我が国の存立を全うし、国民の平和な暮らしを守るため、すなわち我が国を防衛するために、やむを得ない自衛の措置として、必要最低限の武力の行使を認めるものです。」

この、「我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増す」という文言が、一つ目に、軍事力の肥大化を続ける隣国・中国の存在を念頭に置いている事は、ここで改めて断る必要もないだろう。

読者諸氏は、問われるかも知れない。広島の原爆式典、中島敦の『李陵』、そして中国の軍事力と、一体どんな繋がりがあるというのかと。が、ちょっと待っていただきたい。そして、もう少し我慢して読み進めて頂ければ、筆者の意図はおのずから分かって頂けるだろう。筆者としては、この言葉を、この文章のどこかで書いておきたかった。なぜなら、そんな「もう少し我慢する」小説こそ、すなわち、中島敦の文学だからである。
 
例えるならば、固い殻をむいてから食べる、甘栗のような作品である。自然のままの、棘とげの殻斗(かくと)まで、剥いていかないと、中身が食べられない。現代の私たちが享受するような、すでに殻をむかれ、さらには食べ易く調理までされたような、口当たりの優しい文学などでは、決してない。

しかし中島文学は、それだけの苦労を報いてくれる、数少ない本物の文学である。苦労して固い殻をむいて食べても、決して失望に終わらない、実に味わい深い滋味に富んだ名作を、中島敦はいくつも遺してくれた。そして、その頂点に立つのが、『李陵』ではないかと思っている。

では、名作『李陵』の「固い殻の中にある美味」とは、何であるのか?
 
さっきから言っているように、これは本来、せっかちで、面倒臭がりで、飽きっぽい性分をした現代の私たち一人ひとりが、自ら苦労して読んだ上で、味わなければならないものである。だが、この文章を進める都合上、仕方なく、結論だけ申し上げる。

「怨恨」である。

深き深き、心の奥底で、多年の憎しみに蒸留され、恐ろしい憤怒によって発酵されたような、絶対に消しがたい怨恨。大歴史家たる司馬遷や、稀代の武将たる李陵らの人生を通して、人間の怨恨を、これほど見事に語った文章としては、私見では『嵐が丘』や『白鯨』に並び称されるべきものではないだろうかと思っている。

そしてまた、これが中国という国の核心であると断っておきたい。怒りや恨み、深い憎しみのために生まれた、死んでも死に切れない強い思念。このような怨念、執念が、世代を重ねて生き続ける。

筆者には、その良し悪しについて、または是非について、一抹の関心もない。それが彼の国の歴史であり、歴史によって培われた精神文化の一つなのだから。ちょうど日本国における我々の、もののあはれや、無常観のように。ただ、小説『李陵』には、そういう人間の怨恨が、まことに生き生きと描かれている。真の賢者が書いた、素晴らしい文章が、いまなお命を持って生き生きと躍動しているのである。

さて、できるだけの無駄を省いて、とにもかくにも速やかに結論に達することに長けた、現代世界の読者諸氏なら、この時点でもう、筆者の意図が見えてしまったかも知れない。むろん、近年の中国の軍事力が、怨恨の表現であるなどと、言いたい訳ではない。彼の国の文化に相対した時、たとえば『李陵』に描かれたような、怨恨についての共感が無ければ、まともな対話もできないなどという、的外れな政治的議論を展開したいのでもない。

中国が政治上の恣意と策略と陰謀を包み隠しつつ、今日の怨恨を装う物語になど、興味の破片も抱かない。彼の国が日本を批判する時よりも、むしろ「好きだ」とのたまう時にこそ、その甘言のひだに何をしのばせているものか、さらさら知りたくもなく、知ろうという気も起こらない。
 
私の関心は、日本にしかない。
この日本という国には、なにゆえ、深い深い怨恨がないのだろうか、という関心しかない。なぜならば、日本にこそ、形骸化したバカミタイな式典では表現し尽くせず、下劣な政治ショーなどでは決して論うことも許されないような、本物の怨恨が、あるべきだから。

2014年8月6日の朝、私は、広島の原爆式典で、日本人による生き生きとした怨恨の表現の、その細やかな小片すら、拾い上げることはできなかった。偉大な先人たる中島敦が、わずか三十三年の生涯で、『李陵』に書き残した文章は、はたして誰のための遺産だったのか。なぜ、堕落し、形骸化した宗教儀式のように、全てが決まりきった段取りの中で、あまりに淡々と、事務的に、無機質に、無表情に、無感情に、無感動に執り行われているのだろうか。…

恒久平和や、核も戦争も無い世界という理念の侵すべからざる正しさに対して、反旗を翻そうというのでは、決してない。しかし、赦しと愛を説いたかの書の中に、数えきれないほどたくさんの怨恨の詩があるのを、知っているか?

死んでも死に切れないような、まことに人間らしい、深き深き怨恨が人間の中に存在するのは、ただただ、闘争の遺伝子のせいだというのか? 

憎しみや恨みの連鎖は、どこかで断ち切らないと、などと言うけれども、日本国は、ひたすら、そこに忘却という蓋をしていはしないだろうか?

あるいは、あきらめという水に流していたり、時間というニルヴァーナの中へ、押しやってしまってはいはしないだろうか?

そうして、赦しとか、寛容とかいう偽名を、その上に貼り付けていはしないだろうか?

それが正しい道だというのならば、日本文化の美徳であるというのならば、歴史の必然であったというのならば――、では、たった一つだけ、示してほしい。「怒りの広島」の「怒り」とは、いったい現代のどこで、どのように表現されているのか?

降りしきる43年ぶりの雨は、上空から、そんな炎のような消しがたき疑問を、魂の底まで至らせたのである。


小説『李陵』では、物語の後半に、蘇武(そぶ)という人物が登場する。

先の名将・李陵の郷友で、李陵と同じく敵国に投降した後は、「繊毛(せんもう)を雪に和して喰らいもって(原文より)」、「凍てつく大地から野鼠を掘り出して」、飢えを凌がなければならないような、「惨憺たる日々を耐え忍んで」生き延びていた――さらには、「養っていた蓄群が瓢盗(ひょうとう)どものために一匹残らずさらわれてしま」うと、故郷の母にも死なれ、良人のふたたび帰る見込みなしとあきらめた妻には、子まで捨てて他家へと嫁がれてしまった――そんな、過酷もきわまった運命を課された男である。
 
がしかし、この蘇武という男には、不思議と、怨恨らしき感情が見当たらない。少なくとも、李陵の目にはそのように映った。「想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を」心魂で味わいながらも、蘇武はなおもって、来る日も来る日も、飄々として生き続けている…

李陵はいぶかしみながらも、次第次第に、気がついていく。蘇武が、凄惨たる運命の軛の下で、発狂も絶望も自死することもなく、ただひたすら、じっと耐え忍びながら生き続けて来たという、争えない事実を認めざるを得なくなっていく。

ついに李陵は、「運命と意地の張合いをしているような蘇武の姿」が、「昔の多少は大人げなく見えた蘇武の痩我慢」が、 「かかる大我慢にまで成長しているのを見て李陵は驚嘆した」。

そして、蘇武の我慢の底にある、真実にまでたどり着いた時、「天はやっぱり見ていたのだ。見ていないようで、やっぱり天は見ている。」という悟りに仮借なく胸を貫かれて、「粛然として懼れ」たのである。

臆面もなく前言を撤回するようではあるが、『李陵』における、本当の「美味」とは、怨恨ではない。

賢人・中島敦は、人間の怨恨を生き生きと描きながら、物語の最後に、この蘇武のような人物を登場させている。稀に見るほど美しき日本語によってしたためた、運命の残酷さや非情さにまみえた人間の、まことに人間らしい怨恨と対をなすように、悪魔のような運命を生き永らえる人間の「忍耐」という滋味をも、物語に盛り込んだのである。

けだし、「天道是か非か」という司馬遷の問いかけに対して、しっかりと答えてみせたのであろう。

事実は小説より奇なりという。

だったら、小説は事実より真なりと、言い返しておこう。たとえば、「美味」もなければ「滋味」もありえない、広島市の原爆式典と、我が日本国の歴史という悲しき「事実」へ向かって。

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