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赤い蝋燭と人魚


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作  小川未明  
文  無名の小説家
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人魚は、南の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。

ある時、岩の上に、一疋の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。
雲間からもれる月影が、海の面をさびしく照らして、どちらを見てもはてしない、物凄いような青い波がうねうねと動いているばかりでした。

なんという淋しい景色だろう、と人魚は思いました。

「自分たちは人魚だけれども、人間とあまり姿は変っていない。魚や、底知れぬ深淵の中にひそんででいる獣物(けだもの)たちとくらべたら、どれほど人間の方に心も姿も似ているか知れない。それだのに、自分たちはやはり魚や獣物たちといっしょに、冷たい、暗い、気の滅入りそうな海の中に暮らさなければならないのだろうか…」

長い長い日月のあいだ、話しをする相手もなく、いつも明るい海の面に憧がれて暮らして来たことを思っていると、人魚はふと、あの夢のことを思い出しました。

「人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は、魚よりもまた獣物のよりも人情があって、やさしいと聞いている。私たちは魚や獣物の中に住んでいるけれど、もっと人間の方に近しいのだから、人間の中に入っても暮されないことはないだろう」

その人魚は、女でありました。そして、妊娠 (みもち)でありました。

「私たちはもう長い、長いあいだ、このさびしい、話をする相手もない北の海の底に暮らして来た。だから、もはや明るい、にぎやかな国を望むものではない。けれども、これから産まれくるお腹の子どもには、せめてこんな悲しい、頼りない思いはさせたくはない」

「子どもと別れてただ独り、海の中に暮らすということは、この上もない悲しいことかもしれない。けれども、子どもがどこにいて、なにをしていようとも、仕合せに暮らしてくれていたならば、私の喜びはそれにましたことはないではないか」

まるで昼間のように明るい月の光にさらされて、人魚の心は、勇気づけられるようでした。

「人間は、この世界の中(うち)で、一番やさしいものだと聞いている。そして可哀そうな者や、頼りない者をけっしていじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。いったん手附けたなら、けっして、それを捨てないとも聞いている」

「幸い、私たちはの顔は人間によく似ているばかりでなく、胴から上はぜんぶ人間そのままではないか――魚や獣物と暮らされる私たちが、人間の世界でも暮らされないことがあろうか。一度、人間の手に取り上げられ、育ててくれたなら、きっと無慈悲に捨てられることもあるまい…」

女の人魚は、そう思ったのでありました。

それから、人魚は、子どもを陸の上に産み落しました。
これで自分は、もはやふたたび我が子の顔を見ることはあるまいが、子は人間たちの仲間入りをして、明るい、にぎやかな、そして美しい町の中で幸福な生活を送るであろう――そう祈りながら。

ふりかえれば、はるか彼方には、海岸の小高い山の上にある神社の燈火(ともしび)が、ちらちらと波間に見えていました。
子どもを産み落した人魚はやがて岸を離れ、陸を離れ、ふたたび冷たい、暗い波の奥へ、奥へとかえっていきました。




海岸には、小さな町がありました。
町にはいろいろな家がありましたが、お宮のある山の下に、一軒の小さな蝋燭(ろうそく)を商っている家がありました。

そこには、年よりの夫婦が住んでいました。お爺さんが蝋燭を作り、お婆さんが店で売っていたのであります。この町の人や、また附近の漁師らがお宮へお詣りをする時には、かならずこの店に立寄って、蝋燭を買って山へ上るのでした。

山の上には松の木が生えていて、その中にお宮がありました。海の方から吹いて来る風が、折れ曲がった松の梢を、昼も夜もこうこうと鳴らせます。それから、そのお宮にあがった蝋燭の火影がちらちらと揺らめく様子が、毎晩のように、遠い海の上からも望まれたのであります。

ある夜のことでありました。お婆さんはお爺さんに向って、こう言いました。

「私たちがこうして、なに不自由なく暮らしていけるのもみんな、神様のお蔭だ。このお山にお宮がなかったら、蝋燭が売れない。だから、私どもはありがたいと思わなければなりません。今晩は、とくにお山へ上って、お祈りをささげて来ます」

お爺さんは答えました。

「ほんとうに、お前の言うとおりだ。私も毎日、神様をありがたいと、心でお礼を申さない日はないが、つい用事にかまけて、たびたびお山へお詣りに行きもしない。いいところへ気が付きなされた。私の分もよくお礼を申して来ておくれ」

お婆さんは、とぼとぼと家を出かけました。それは月のいい晩で、外はまるで昼間のように明るかったのであります。

お宮へお詣りを済ませて、お婆さんが山を降りて来ますと、石段の下に赤ん坊が泣いていました。
赤ん坊は、一人の幼子の腕の中で、泣いていました。

「お前さんは、どこの倅(せがれ)だ」

お婆さんが訊ねると、男の幼子は、これこれの家の者だと答えました。
それから、

「この赤ん坊が泣いているのを、おっ母さんが見つけた。おっかさんが人を呼んで来るまで、狐や鴉に連れて行かれないように言いつかった」

お婆さんは言った。

「可哀そうに、捨児のようだ。誰がこんな処に捨てたのだろう。それにしても、お詣りの帰りに私の眼に止とまるというのは、何かの縁だろう。このままに見捨てて行っては神様の罰が当る。きっと、神様が私たち夫婦に子どものないのをあわれんで、お授けになったにちがいない」

お婆さんは、そう言って、赤ん坊を男の子の腕の中から取り上げると、「おお可哀そうに、可哀そうに」と、家へ抱いて帰りました。

お爺さんは、帰って来たお婆さんの、赤ん坊を抱いている様子を見てたいそう驚きましたが、お婆さんの口から事の一部始終を聞きおえると、

「それは、まさしく神様のお授け子だから、大事にして育てなければ罰が当る」

と言いました。

その晩から、二人は、捨児の赤ん坊を育てることにしました。その子は、女の子であったのであります。
そして――顔と胴から上はぜんぶ人間そのままでしたが、胴から下は人間の姿でなく、魚の形をしているのを見て、お爺さんもお婆さんも、これは話に聞いている人魚にちがいないと思いました。

「この子は、人間の子じゃあないが……」

とお爺さんが、赤ん坊を見て頭を傾けると、

「私もそう思います。しかし人間の子でなくても、なんというやさしい、可愛らしい顔の女の子でありましょう」

とお婆さんは言い、

「いいとも、いいとも、なんでも構わない、神様のお授けなさった命だから、大事に、大事に育てよう。きっと大きくなったら、怜悧(りこう)な、良い子になるにちがいない」

二人は、その言葉のとおり、女の子を大事に育てました。
女の子は、大きくなるにつれて、黒目がちの美しい、濡羽色の髪のつやつやとした、おとなしく、心やさしい、怜悧な子となりました。



娘は大きくなりましたけれど、姿の変っているのを恥かしがって、表へ出ようとしませんでした。
けれども、その娘をひとめ見た人はみな、びっくりするような美しい器量でしたから、どうかしてその娘を見ようと思って、店頭(みせさき)へ覗きにやって来る足が絶えませんでした。

お爺さんとお婆さんは、

「うちの娘は内気で、恥かしがりやだから、人様の前には出ないのです」

と言いました。

しかし、ただ一人だけ、家を訪ねる者がいて、その者にだけは、娘が嬉しそうな顔を見せるのを知っていました。

ある日、奥の間でお爺さんは、せっせと蝋燭を造っていました。
すると娘は、ふと、蝋燭の上に絵を描かいたら、きっとみんな喜んで蝋燭を買ってくれるかもしれないと思いつきました。そのことをお爺さんに話しますと、そんならお前の好きな絵をためしに書いて見るがいいと答えました。

娘は赤い絵具で、白い蝋燭に、魚や、貝や、また海草(うみくさ)のようなものを、生まれつき誰にも習ったのでないが、上手に描きました。
お爺さんは、それを見るとびっくりしました。誰でもその絵を見ると、蝋燭がほしくなるように、その絵にはとても不思議な力と美しさとが、籠っていたからであります。

「うまいはずだ、人間ではない人魚が描いたのだもの」

お爺さんは感心して、お婆さんと話合いました。

その日から、

「絵を描いた蝋燭をおくれ」

と言って、朝から晩まで、子供や大人たちが、こぞって店頭へ買いに来るようになりました。
娘が赤い絵の具で絵を描いた蝋燭は、町のみんなに受けたのであります。

するとここに、不思議な話が起こりました。娘の絵を描いた蝋燭を、山の上のお宮にあげて、その燃えさしを身に付けて海に出ると、どんな大暴風雨(おおあらし)遭ってもけっして船が転覆したり、溺れて死ぬような災難がないということが、いつからともなく、人々の口々に噂となって上りました。

「海の神様を祭ったお宮様だもの、綺麗な蝋燭をあげれば、神様もお喜びなさるのにきまっている」

と人々は言いました。

蝋燭屋では、絵を描いた蝋燭が飛ぶように売れるので、お爺さんは朝から晩まで一生懸命に造ります。
かたわらで娘は、手の痛くなるのも我慢して、赤い絵具で絵を描きました。

「こんな人間並でない自分をも、育て、可愛がってくださったたご恩を忘れてはならない」

娘はやさしい心に感じて、黒い、大きな瞳をうるませたこともありました。

この話は、遠くの村まで響きました。

すると、遠方の船乗りや、漁師たちが、神様にあがった絵を描いた蝋燭の燃えさしを手に入れたいと望んで、わざわざ遠い処をやって来ました。
そして、蝋燭を買って、山に上り、お宮に参詣して、蝋燭に火をつけて捧げ、その燃えて短くなるのを待って、またそれを胸にいただいて帰りました。

だから、夜となく、昼となく、山の上のお宮には、蝋燭の火の絶えることがなくなりました。ことに、夜には美しく、多くの燈火の光が、海の上から望まれたのであります。

「ほんとうにありがたい神様だ」

という評判が、世間に立ちました。それで、急にこの山が、名高くなりました。

神様の評判は、このように高くなりましたけれど、誰も、蝋燭に一心を籠めて絵を描いている娘のことを、思う者はありませんでした。

その娘を可哀そうに思った人も、なかったのであります。ただ一人の、毎晩遅くなると、娘の部屋の窓口から顔をのぞかせる、若い男の漁師をおいてほかには。

娘は、疲れると、ときどき月のいい夜に、窓から頭を出して、遠い、北の青い海を恋しがって、涙ぐんで眺めることもありました。
そんなとき、若い男の漁師がたずねて来ると、娘は微笑んで、わずかのあいだだけ、言葉を交わすのでした。




ある時、南の方の国から、香具師(やし)が入って来ました。何か、北の国へ行って、珍らしいものを探しだして、それをば南の国へ持ち帰って、金を儲けようというのでありました。

香具師は、どこから聞き込んで来ましたか、また、いつ娘の姿を見て、ほんとうの人間ではない、世にも珍らしい人魚であることを見抜きましたか、ある日のこと、年より夫婦の家へ上がり込んで、娘には分らないように、大金を出すからその人魚を売ってはくれないかと持ちかけたのであります。

年より夫婦は、最初のうちは、この娘は神様のお授けだから、どうして売ることが出来よう、そんなことをしたら罰が当ると言って承知をしませんでした。

香具師は一度断られても、こりることなく、二度三度とやって来ました。そして、ついに年より夫婦に向って、

「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」

とまことしやかに、惑わしたのであります。

年より夫婦は、とうとう、香具師の言うことを信じてしまいました。なにより、大金になりますので、つい金に心を奪われて、娘を香具師に売ることに、約束をきめてしまったのであります。

長い白髪をふり乱した香具師は、たいそう喜んで帰っていきました。そして、いずれそのうちに娘を受け取りに来ると、告げました。

年より夫婦の口からこの話を聞き及んだとき、娘はどんなに驚いたでありましょう。
内気な、やさしい娘は、この家を離れて幾百里も遠い、知らない熱い南の国に行くことを怖れました。そして、泣いて、乞い願ったのであります。

「妾(わたし)は、どんなにも働きますから、どうぞ知らない南の国へ売られて行くことを許して下さいまし」

しかし、もはや、鬼のような心持ちになってしまった年より夫婦は、何といっても娘の言うことを、聞き入れようとしませんでした。

娘は、部屋の裡(うち)に閉じこもって、一心に蝋燭の絵を描いていました。しかし、年より夫婦はそれを見ても、いじらしいとも、哀れとも思わなかったのであります。

月の明るい晩のことであります。娘は独り、波の音を聞きながら、身の行末(ゆくすえ)を思うて悲しんでいました。
青い青い海の面を、月の光りがまるで昼間のように、はてしなく照らしていました。

波の音を聞いていると、なんとなく遠くの方で、自分を呼んでいるものがあるような気がしましたので、窓の方へ、頭をもたげてみました。
すると、あの漁師の若者が、窓の外に立っていました。

「話は聞いた。おれがきっと、助け出してやるから」

若者はそう言って、娘を励ましました。

娘は、そう言った若者の海のように深い瞳と、月のようにかがやく髪の毛を思い出しながら、また坐って、蝋燭に絵を描いていました。

するとこの時、表の方が騒がしかったのです。いつかの香具師が、いよいよその夜、娘を連れにかえって来たのです。
大きな鉄格子のはまった四角な箱を、車に乗せて来ました。その箱の中には、かつて、虎や、獅子や、豹などを入れたことがあるのです。

このやさしい人魚も、やはり海の中の獣物だというので、虎や、獅子と同じように取扱おうとするのであります。もし、この箱を娘が見たら、どんなに心引き裂かれたことでありましょう。

娘は、それとも知らずに、下を向いて絵を描いていました。
そこへ、お爺さんとお婆さんとが入って来て、

「さあ、お前は行くのだ」

と言って、連れ出そうとしました。
娘は、手に持っている蝋燭に、せき立てられるので絵を描くことが出来ずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。
やさしい人魚の娘は、赤い蝋燭を、自分の悲しい思い出の記念(かたみ)に、二三本残して行ったのです。




ほんとうに月の穏やかな晩でありました。お爺さんとお婆さんは戸を閉めて、寝てしまいました。
真夜中ごろであります。とん、とん、と誰か、戸を叩く者がありました。年よりのものですから耳さとく、その音を聞きつけて、誰だろうと思いました。

「どなた?」

お婆さんは言いました。

けれどもそれには答えがなく、つづけて、とん、とん、と戸を叩きました。
お婆さんは起きて来て、戸を細目にあけて、外を覗きました。すると、一人の白い女が、戸口に立っていました。

女は、蝋燭を買いに来たのです。お婆さんは、少しでもお金が儲かるならと、けっしていやな顔付きをしませんでした。
お婆さんは、蝋燭の箱を取り出して、女に見せました。その時、お婆さんはびっくりしました。

女の長い、黒い髪がびっしょりと水に濡れて、月の光に輝いていたからであります。女は箱の中から、真赤な蝋燭を取り上げました。そして、しばらくのあいだ、じっとそれに見入っていましたが、やがて銭を払って、赤い蝋燭を手に帰って行きました。

お婆さんは、燈火(あかり)のところで、よくその銭をしらべて見ますと、それはお金ではなくて、貝殻でありました。お婆さんは、騙されたと思うと、怒って、家から飛び出しました。が、もはや、その女の影は、どちらにも見えなかったのでした。

その夜のことであります。
急に空の模様が変って、近頃にない、大暴風雨となりました。それはちょうど香具師が、娘を檻の中に入れて、船に乗せて南の国へ行く途中、沖合にあった頃であります。

「この大暴風雨では、とてもあの船は助かるまい」

お爺さんとお婆さんは、ふるふると震えながら、夜の明けるまで話し合いました。

夜が明けると、沖は真暗で、物凄い景色でありました。その夜、難船をした船は、数えきれないほどでありました。




不思議なことに、赤い蝋燭が、山のお宮に点(とも)った晩は、どんなに天気がよくても、忽ち、大暴風雨になりました。それから、赤い蝋燭は、不吉ということになりました。蝋燭屋の年より夫婦は、神様の罰が当ったのだといって、それぎり、蝋燭屋をやめてしまいました。

しかし、どこからともなく、だれが、お宮に上げるものか、毎晩、赤い蝋燭が点りました。昔は、このお宮にあがった、絵の描いた蝋燭の燃えさしを持ってさえいれば、けっして海の上では災難に罹らなかったものが、今度は、赤い蝋燭を見ただけでも、その者はきっと災難に罹って、海に溺れて死んだのであります。

この噂が世間に伝わると、もはや誰も、山の上のお宮に参詣する者がなくなりました。そして、昔、あらたかであった神様は、今は、町の鬼門となってしまいました。こんなお宮が、この町になければいいのにと、怨(うら)まぬものはなかったのであります。

こうして、若いひとりの漁師が、大暴風雨の夜に南の国からやって来た香具師に逆らって、檻の中の人魚とともに船の上から、海の中へ投げ入れられた話まで、そのとき、荒れ狂っていた海が鎮まって、助かった命のあったことまで、人々の間から忘れ去られてしまいました。

沖合いを行く船乗りは、沖から、お宮のある山を眺めて怖れました。夜になると、北の海の上は、永(とこしえ)に、物凄うございました。はてしもなく、四方(どっち)を見まわしても、高い波がうねうねとうねっています。そして、岩に砕けては、白い泡が立ち上っています。月が雲間から洩れて、波の面を照らした時は、まことに気味悪うございました。

真暗な、月も星もない雨の降る晩に、波の上から蝋燭の光りがただよって、だんだん高く、山の上のお宮をさして、ちらちらと動いて行くのを見た者があります。

幾年も経たずして、その下の町は亡(ほろ)びて、失(な)くなってしまいました。



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