マンガ評『心の迷宮』——人生とは投機の連続

投機という言葉は評判が悪い。マネー系のコラムなどでよく見るのは「投機と投資は違う」という解説だ。「長期での収益拡大を見込んで資金を投じるのが投資、短期的な値動きに着目して利益を得ようとするのが投機」などと区別し、リスクの大きな投機でなく、堅実な投資を心がけましょうとお説教する。

けれどもこの解説は、長期と短期の区別が曖昧だし、投機は投資よりリスクが大きいとも限らない。東証1部上場の有名企業の株を長期投資で10年持ち続けたら巨額の不正経理が発覚して倒産し、株が紙切れ同然になって財産が吹っ飛んでしまう場合もあるだろう。午前に買って午後売るデイトレードなら、損をしてもたかが知れている。

このように投機は、曖昧な根拠に基づいて、なんとなく悪いものとされる。それと同時に、相場師やヘッジファンドの運用者、デイトレーダーなど投機をなりわいとする特殊な人(投機家)が行うもので、普通の市民には縁のないものと考えられている。

しかし、その考えは正しくない。人は誰でも自分の意思を持って生きている限り、広い意味では投機家である。なぜなら、未来は常に不確実だからだ。

投機家が白い目で見られるのは、明日の相場が上がるか下がるかという不確実なことに賭け、利益を得ようとするからである。けれども、それは普通の人も変わらない。

人は誰でも、利益を得るために行動する。この場合の利益とは、金銭的・物質的な利益だけを意味しない。金銭や物の入手以外に、名声の獲得や人間関係の改善など、なんらかの行動によって精神的な満足を高めることを指す。言い換えれば、幸せになることである。

ウェブのgoo国語辞書で調べると、投機の第1の定義は「利益・幸運を得ようとしてする行為」とある。これが投機の本来の意味といえる。

ただし厄介なことに、ある行動によって本当に幸せになれるのか、なれるとしてもどの程度なれるのか、事前に知ることはできない。未来は不確実だからだ。

どんなに科学が進歩しても、未来の不確実性をなくすことはできない。他人の例や過去の経験を参考にして周到に準備しても、結局は裏目に出て、むしろ不幸になってしまうかもしれない。それでも少しでも現状を変え、幸せになりたければ、相応のリスクを覚悟のうえで行動するしかない。だから本質的には人間は誰もが投機家であり、人生とは投機の連続なのだ。

さて前置きが長くなったが、あらゆる人生は投機であるという真実を知るには、近藤ようこの名作マンガ『心の迷宮』(全3巻、小学館)を読むといい。

(続きはこちら)

https://wezz-y.com/archives/60155

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?