『百万円と苦虫女』 リバタリアンの映画評 #5

自由は弱者にやさしい

自由は「強者の論理」だと思っている人が少なくありません。けれども実際は違います。むしろ自由ほど弱者にやさしいものはありません。『百万円と苦虫女』(タナダユキ監督)を観ると、それがよくわかります。

21歳の鈴子(蒼井優)は、たまたまルームシェアすることになった男から、拾った子猫を捨てられたことが許せず、男の荷物をすべて廃棄。ところが器物損壊で刑事告発され、罰金20万円の刑を受けてしまいます。

軽い罪とはいえ、前科者になった鈴子に周囲は冷たい目を向けます。鈴子は決心します。アルバイトをして、百万円貯まったらこの街を出よう。その後も百万円貯まるごとに、自分を知る人が誰もいない土地に引っ越そう。鈴子は計画を実行します。

鈴子は気丈ではありますが、女性であり、フリーターであり、おまけに前科者です。社会的には典型的な弱者といえます。その鈴子が何とか心穏やかに生きてゆくことを支えてくれるのは、自由です。

具体的には、住みたいところに住む自由、引っ越す自由、そして働く仕事を選ぶ自由。この3つの自由は、日本国憲法22条1項に「居住、移転及び職業選択の自由」として記されています。いわゆる経済的自由です。

これらの自由がなければ、鈴子はいつまでも故郷の街で前科者と後ろ指をさされながら、息を詰めるように生きてゆくしかなかったでしょう。

強者なら、自由のない社会でも、気に入らない相手を力で排除し、それなりに快適に過ごせるでしょう。弱者にそんなことはできません。自由な社会の良いところは、力のない弱者であっても、平凡に、普通に努力することで、自分の望まない生き方から少しでも遠ざかり、望む生き方にわずかでも近づける点にあります。

美しい映像と蒼井優さんのすばらしい演技が印象的なこの作品は、自由の大切さを声高には叫ばず、しかし静かに語ります。
(Netflix)



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