筋肉痛になるのは身体だけではない

そんなぼくは今
絶賛全身筋肉痛である。

ちょっと運動不足だなと感じたので
最近運動の頻度を上げたため
筋肉痛でない日のほうが少ない。

立ち上がったり座ったり
階段の上り下り
むしろ歩くことも

苦痛!!!!!笑

ただ、
同時に快感でもある。

これはぼくがドМだからではなく
過去の経験から
筋肉痛の先に成長があることを知っているからだ。

本気でサッカーやダンスをやっていたころ
筋トレをして筋肉痛にならなかったら
逆に不安になっていたことを思い出す。

トレーニングの効果が出ているかがわからないから。

そしてその根っこの部分には目的がある。
こんな自分になりたい!!!
という目的。

つまり
目的が明確であれば
苦痛も乗り越えられるし
喜んで受け入れることができるということだ。

ぼくはムキムキになりたかったわけではないが
サッカーで競り合ったときに負けない筋肉
走り出しが誰よりも速くできる筋肉
より強くボールをけることができる筋肉
など
サッカーがうまくなるために筋力が欲しいという目的があったから

決してやりたいわけではなかったトレーニングを始め
決して痛い思いをしたいわけではなかったが痛みを受け入れることができた。

今ぼくの目的は
簡単に言うと
死ぬときに人生を振り返り
自分のことをかっこいいと言える自分であること。

だからこそ
理想の自分と今の自分とのギャップに直面し

めんどくさい、、とか難しい、、とこ思えることも
習慣になるまで
できるようになるまで
努力しようと
すぐに思い行動できる。

ただこのとき
筋肉痛のようなものが
しっかりメンタルにくる。

こことしっかり向き合い
乗り越えるからこそ人としての成長がある。

今は
この心の負荷を感じないときは
自分が安定しちゃってチャレンジしていないような気になり
逆に不安を感じるようになった。

目的があり課題と現状が明確で
そこに向き合いチャレンジしていたら

苦痛が苦痛でなくなる。

そして自分の成長を感じられたとき
やりたいことではなくやるべきことだったことが
楽しくて仕方なくなっている自分にも気づく。

こうなったら無敵。

人からしたら努力を継続しまくっていると思われるような状態は
本人からしたら
努力をしているのは
やるべきことが楽しくなるまでの短い期間だけで
あとは楽しくてやりたくてやっているだけのことも
少なくはないんじゃないかと思う。

これをやる前から思えるようになるのは経験しかない。
経験は宝物。

神様は超えられない壁を用意することはない。

それは自分への贈り物。
頂いたものを大切にする自分で在り続けます。



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