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親を名乗るのであれば娘が亡くなった時に… 【死別】

自分からすれば、
彼女のやり方は人として最低なやり方だ

亡くなる前日まで数ヶ月、毎日時間を共にして入院中も支え続けた恋人を入院中に約束までしていながら葬儀にも呼ぶようにしておかずに一方的な報告と別れの機会さえ与えないのだから会う気も無い、会わせてもやらないその恋人に言葉だけの「会いたい」を遺してより苦しめて捨てていったのだから

そうやって突きつけられた事実が全てであって、その事実によって時間はあの日で止まったままになり、真剣に向き合ってきたはずの時間や彼女が話してきた相当な言葉達は全て嘘に塗り替えられた

それによって一生苦しみ続けなければいけなくなった

昨日まで愛を語り合ってた恋人から翌日「あなたは要らない」と死んだ途端に葬儀にも呼ばれず、別れの機会すら与えられずに一方的に切り捨てられて残される側になる人間がどんな苦しみを背負うのか想像出来るだろうか?

葬儀という別れの機会が残される者にとって、その後を生きる為にどれだけ大切な機会であるかわかるだろうか?

故人との関係が深ければ深いだけその後を生きる為に必要となる機会なのは言うまでもない

現に死後に親代わりなんて名乗る方も後に自身でこう話してる

その機会を与えない事がどれだけの裏切りなのか
その機会を奪う事がどれだけ非人道的な行為であるのか

赤の他人の子とは言え親代わりを名乗るのであれば立場は親ということになるのだろう
自身でそう名乗っているのだから

親であるなら子が最後に遺した言葉や願いを一番に考えるのはもちろんだけど、
相手の至らなかった事を責めて葬儀から排除するよりも先に子が世話になった事に礼を言い、そういうやり方をしていった事を恥じて子の未熟さを代わりに補うのが本来の親としての務めなのではないかなと思う

それとも、
親としてそういう酷いやり方をするように教えてきたということなのだろうか?

親代わりと名乗る方は後にこうも話している

この方はわかっているのにもう一人の方が、
「本当に会いたいと思っているのなら」
と彼女が最後に遺した言葉を思ってもいない口だけの言葉かのように言い、それを口実に呼ばなかった事を正当化していた

彼女がした酷いやり方は完全に棚上げだよね

そして、
彼女は自分にこんな話をしていたよ

死後に親代わりと名乗る方達の名前は出てきてないんだよ
そして、
親代わりとして親のような存在の人がそばに居たならこんな言葉は出てこないのではないかな?
彼女は死後に親代わりと名乗る方達の事を「今も残ってる友達」と表現していた

養子縁組の申し出も数回断ったそうだ
ひとんちのお母さんが羨ましかった子がだよ?
自分の両親の話をした時にこう話していた子がだよ?

 

親代わりと名乗る方達が彼女を娘のように思って見守ったり、いろいろ尽くしてきたのはそうなのだろう
だけど、彼女からして親のような存在では無かったんだろうなと思う
だから、こういう言葉が出る

彼女は彼女なりにその方達の事を信頼して大切に思ってはいたと思うけど、親代わりと子としては噛み合ってないんだよね

だから親としての務めや責務より先に「奪われた」なんて言葉が出たり、勤めを放棄して葬儀から排除したのかもしれないと勝手に思った

「奪われた」って表現って通常「自分の所有物」に対して使う言葉だと思ってしまうのは自分がおかしいのかな?

彼女が自分で選んで決めて、
自分でしてしてきたことだ
二人がお互い納得して二人でしてきたこと

実の親であろうが親代わりであろうがそれを否定する権利なんてどこにも無いと思うけどね

入院中に二人で約束した
彼女は会いたいと言って死んでいった
自分はともかく、彼女からも別れの機会を奪える権利なんて誰にもなかったし、
彼女の意思があればきっとこんな酷いやり方はしなかった

結局、彼女は周りの人達の手によってそういう酷いやり方をした子にされてしまった
もちろん、自分もそうだし、ちゃんと出来なかった彼女にも問題はあるだろうけど

でもね、
そもそも彼女が遺した最後の言葉どころか、
この方は入院中に彼女本人から約束した話を直接聞いてるんだよ

にも関わらず葬儀から排除して会わせずに送り出した
大切な娘が自分の口で直接話した事さえ無視したんだよ

本当に会いたいと思ってたから話したんでしょ
思ってもいないなら第三者にわざわざ話す必要が無いでしょ

それを「本当に会いたいと思ってるなら」なんてよく言えてしまうと思うよ

彼女なりに信頼していて、万が一の時は頼むねって事だったのかもしれなのにね
それなら、この方は彼女を裏切ってしまった事になるよね…


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