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2.サイズ

信仰度★★★★☆

【サイズ:size】大きさ。寸法。特に、既製の衣料品などの大きさの型。『デジタル大辞泉』より

私のコンプレックス

私は男としては背が低いんです。だいたい5尺3寸くらいです。横綱級に低いです。いや、本物の横綱は大きいですが。

「前ならえ」でしたっけ?あれいつも腰に手を当てる役でした。
よく「小学生は背の順で一番前だったが、中学でバスケ部に入り、気づいたら一番後ろになってた、彼女もできた。」なんて美談を語る美男がおられます。
一方私は、ずっと「クラスで一番小さいヤツ」でした。球技はほとんど苦手でしたし、彼女もできませんでした。世の中って不公平ですね。

そんな自分が唯一身長で勝っていた相手がいます。それはかつての自分です。

当たり前だろ、と思ったそこのあなた、はいはいその展開ね、と思ったそちらのあなた、すみません、もうしばらく優しく見守ってていただきたい。

「成長」は当たり前ではない

成長期になれば勝手に背は伸びるし当たり前のように体は大人になる、でも本当に当たり前でしょうか。いやいや、それも神様のご守護、眠っているものを引き出すご守護(※1)があってのものだと教えていただきます。

身長を伸ばすために、人間ができる努力は限られています。今の体格を完全に狙って手に入れている人間は一人もいません。そもそも赤ん坊の時点では食べさせて貰うしかありません。

繰り返しですが、私はいつもクラスで一番小さいヤツでした。でも私は私なりに、思春期にはそりゃぐんぐん背が伸びました。そうです、しかるべき時に際立って成長したと言う点においては、皆と同じく引き出しの御守護を神様から頂いたのです。

身長に限らず、身体的にこれだけ個人差のあるお互いですが、ほとんど皆決まった時期に際だって成長するのです。

背の低い自分に強いコンプレックスを抱いていた時もありましたが、この同じ御守護をもらっていることに気づいた時、なんともありがたく、嬉しくなりました。

神話に見る人間の成長

天理教には、神様が人間世界をお初めになる「元はじまりの話」という神話があります。それによれば、最初生まれた人間の原型はわずかに5分(約1.5cm)で、それが3寸(約9cm)まで成長したそうです。しかしやがてそれらは全て死んでしまいました。

次に生まれた人間のもとも、やっぱり最初は5分でした。今度は3寸5分まで成長したそうです。やはりみんな死にました。

3度目もやっぱり5分から生まれて、最終的には4寸まで成長しました。それを見た母親役の神様は「これまでに成人すればいずれ5尺の人間になるであろう」と仰せになり、にっこりと笑って姿を隠されるのです。

どうですか、このジリジリとした、しかし着実な成長ぶり!思わず頑張れ頑張れ、と応援したくなります。

私たちは1cmの高い低いを人と比べたりして一喜一憂してしまうものですが、神様からすれば人間は殆ど同じ5尺そこそこの可愛いわが子。その5尺に至らすまでの気長で並々ならぬ育ての苦労に思いを致す時、憂うべきは見た目の小ささより、そこに気付けていなかった心の小ささであろうと自省します。

ちょうどいいを味わう

先日、古着屋で一目惚れしたコートがありました。サイズも私にちょうどよく、値段もびっくりするくらい安かったのです。確かにこれが着られるのは私くらいなものですから、価格設定も安かったんでしょうか。ちょっと得した気分でした。

お互い様、何事もわしにはこれでちょうどいいんだと、負け惜しみなく思えたらいいですね。

※1 天理教には「十全の守護」と呼ばれる、神さまの働きを10に分けた説き分けがあります。一つ一つの働きには「〇〇のみこと」という形で神名が付いています。その8番目に挙げられるのが、「をふとのべのみこと出産の時、親の胎内から子を引き出す世話。世界では引き出し一切の守護の理」です。母胎から子が外界に引き出される、作物が育つ、人間が成長する、眠っていた潜在能力がある時引き出される。これらの事象はこの働きによるものとされています。

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