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棒氷齧ってた犬の墓まいり * 海の京都、宮津

男女の双子を産んでしばらくの間、白い犬と共に神社から少し離れたところに暮らした。

路地(大阪ではろぉじと発音する)のドンツキ(行き止まり)にある家で、路地では小さな子らがゴム段をしたり、地面に白墨で何やら書いて、独創的なルールの遊びを展開したりしている。集落のすぐ横には田んぼがあり、近くにはザリガニがいる池もあった。

そんなところへ年季の入った犬小屋と白い雑種犬と、赤ん坊の双子と共に入っていったので、私たちはすぐにご近所の子供たちに受け入れられた。

あるとき、近所の5歳と6歳に、秘密基地へ案内された。

田んぼのあぜ道を越え、さらに草ボーボーの空き地をすすむと、人が住んでいないようだが廃墟とはまだ言えない家があり、その家の壁に、赤い色が剥げた、大きな木製のボートが立てかけてある。

そのボートと壁が作り出す三角の空間が秘密基地なのだった。

三角に切り取られた向こう側の景色は、永遠に続くかと思われる草いきれ。その端に、小さくちらりと見える工務店の軽トラックが、離島に放置された昔の車のように、時間の感覚を麻痺させる。

三角が好きな私は興奮した。

「これは斎場御嶽(せいふぁーうたき)じゃないか!」

こういう場合、5、6歳は感激だけを受け取って「そうやで」と返してくれるのがありがたい。相手が大人であれば、「斎場御嶽というのは、沖縄にある聖地で、巨石が作り出した三角の空間です。そこから海と久高島が見えるんですが、ここは、その斎場御嶽に極めてコンセプトが似ています」と説明をしなければならない。そうなると「へえへえ。あなた沖縄県の人なんですか」「いやそうじゃないんです埼玉なんですけど」ということになって話がどんどん本筋からそれてゆく。

けれども5、6歳児の会話は、すぐに核心に迫る。

5歳「ときどきここに犬がおって、雨が降ったらボートの下に入って雨やどりするねん」
6歳「あのな。その犬、チルーかしれんで」
5歳「白かったもんチルーやで」
6歳「チルーひとりでここに来てんねんで」

チルーというのは当時私が飼っていた白い雑種犬のことだ。
ふだんは道に面した犬小屋にいて、リードに繋がれている。ひとりで秘密基地に来ることはできないはずだが…。

その日、家に帰るとチルーは小屋から出て、チリトリの柄を噛んでいた。
チリトリの柄がボロボロになると使いにくいので、取ろうとすると「がるる」と唸った。別犬格「牙」である。本来のチルーは心やさしいが、一旦この犬格が出てしまうと飼い主であろうと誰であろうと、とにかくがるると唸って犬歯を見せつけて来るので非常にあつくるしい。

ああ、あつくるしいなあ、牙、早く引っ込め。と思っているところへ、べつの6歳が来た。
6歳「あのな。チルーちゃん好きやねんけどな。ちょっとこわいねん」
私「なんで? ああ、こうやって牙になるから?」
6歳「ちゃうねん、もっと小っさいのとか、むっちゃ大きいのならさわれるねんけどな、この大きさはあかんねん」

この大きさはあかん。

たしかに、中型犬のたたずまいは、小型犬や、大型犬に比べて、何かをしでかしそうである。本犬はちっともそんなつもりないのになぜだか醸し出してしまう不穏な感じ。それを、極めてシンプルに表現したのが「この大きさはあかん」。
名言である。

  ***


チルーが11歳で死んで、山の動物霊園に眠ってから、もう十年の月日が経つ。

夏になると、チルーが牙を見せて棒氷(飲み終わった牛乳パックに水を入れて凍らせた氷)を齧っていた姿を思い出す。

さすがに十年もたつと、しがない雑種犬も自分の中で祖先化、神格化されてくる。チルーがあの頃、本当に秘密基地に通っていたように思われる。

自分でリードを外し、秘密基地へ行ってひとり時間を楽しみ、何食わぬ顔で犬小屋に帰宅して、リードをつけて眠る。秘密基地の、三角に切り取られた空間で、草原を走りまくる妄想をする。

チルーは私で、私はチルーなのだ。

***

岡山の洞窟「満奇洞」へ行く途中の山道に、
小さな川のほとりに小屋を建て、自分専用の小さな橋を渡って帰る、
という理想を実現している雑種犬がいた。

犬の傍らにはどんぶりの飯鉢、水飲み用あるいは沐浴用の木の盥(たらい)、その横に半分埋まっている古びた石柱には「岡山」と彫られている。おそらく山の道標だったものだ。

小屋の横にはモップがぶら下がっている。
それが棕櫚(しゅろ)の箒であれば数寄者として完璧だが、逆に完璧すぎて嫌味になるかも知れない。これがモップであることが、この犬がとんでもない侘び数寄(わびすき)者である証拠と言えよう。自分専用橋が赤く錆びているのもまた侘び数寄。この犬は明らかに私の犬だ、いや、私だ。




夏の初めに、海の京都、宮津を旅した。
知恩寺に詣で、文殊堂で絵馬を納める。
さすがは知恵の神様、大きな算額が奉納されている。

宮津 知恩寺。海のそばなので松。

絵馬を書く机の上に、おみくじの箱が置いてある。
立方体の、きっちりとした仕事の木箱で、あきらかに既製品ではない気配。
素人の作とは思えぬ出来栄えで、清らかな存在感を放っている。
おみくじを引いたが、箱の印象が強くて何が出たのか忘れてしまったほどだ。

右手に進むと、御朱印を押す人が、小さな四角い小屋に入っている。
古い文殊堂の軒下にすっぽり入る、マッチ箱のような木箱で、白木の新しさが清々しい。
中の人が御朱印を受け渡す窓口は、透明度の高いアクリル版がはめられている。一人でこの木箱小屋に入っていても、木の香りに包まれて快適にすいすい御朱印帳が書けそうである。日頃御朱印帳書きをしている私は、その職場環境に目が行ってしまう。

木箱小屋は、さっきのおみくじ箱の作り手と同じ大工の仕事だな。と直感した。

これは絵馬を掛けるところ。

文殊堂をぐるっと回ろうと思い、堂の右の廊下に進む。
軒に地獄絵が飾ってある。昭和に奉納されたものらしい。

頭上にあるその地獄絵を見ていたら、足にモワッとした気配を感じ、下を見ると、猫。
廊下の端に、木箱がある。猫の顔の形にくり抜かれた穴が開いているところを見ると、木箱は猫の家らしい。

中にすっぽり入って、猫型の窓から外を見たり、心地よい狭さに挟まって、いい夢見たりするのか。

うらやましく思っていると、猫は「家はこの大きさがええ」と顔で語った。

6歳児の言った「この大きさはあかん」と、猫の言う「この大きさがええ」は、突き詰めてゆくと同じことなのである。

おみくじ箱と、御朱印の人が入っている箱と、猫の家の箱は、全てが同じ大工による造作に違いない。きっちりした仕事である。これらを作った大工さんは、幸田露伴の「五重塔」の主人公である寺社建築の大工「のっそり十兵衛」のような人だろう。

ほんとうは単にめっちゃ器用な住職が趣味で日曜大工したものかも知れないが、お寺という空間に来るとどうしてもさまざまな想像をせずにはおれない。それはきっと、長い時間がこの空間に積み重なっていることによる作用だと思う。

猫の家の近くには、外で寝る用の丸い寝床もあった。
ちょうど、円座を立体的にしたようなもので、この猫にちょうど良い大きさである。

まさにジャストサイズ

けっきょく、ここの猫は、
「寝床で寝てもいいし、箱に入ってもいいし、廊下でびろんとしても良いし、適当にその辺散歩してもいいし。」
という暮らしをしているのだ。

その辺をちょっと散歩すれば天の橋立があって、海の魚もあるし、お土産やさんからは常にいい匂いがしている。気が向いたら参拝客の相手をしてやってもいいし、一人になりたければ、のっそり十兵衛に作ってもらったちょうどええ大きさの箱に入れば良い。

前世でどれだけ徳を積んだら、今世でこんないい暮らしができるのかなあ、うらやましいなあ。と思っていると、猫が、
「わたしはおまえだ」
と言った。

飯と水の台も、大きさをぴたりと合わせてあった。






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