見出し画像

もう自己防衛しかない! 日本の現実 ~神戸5人殺傷事件&愛媛新居浜一家三人殺害事件~

被害妄想のターゲットになったら……誰も助けてくれない!?

4年前の2017年4月、神戸市北区に住む男性(当時27)が、祖父母と近隣住民の三人を殺害し、別の近隣住民と母親に重傷を負わせた事件で、11月4日、神戸地裁は男性に対し、無罪判決を言い渡した

この事件の初公判(裁判員裁判)では、弁護側は「客観的事実に争いはない」とした上で、「被告は統合失調症で心神喪失状態だったため無罪です」と述べた。検察側は冒頭陳述で、部分的には責任能力があった、として心神耗弱を主張、無期懲役を求刑していた。いずれにしても事件当時、被告に精神疾患があったことは双方が認めていた

なお被告には拘置所内で治療が行われ、報道によると治療効果も出ているということだった。その上で、罪を認め、被害者に謝罪の念も抱いていた。被告人が罪を認めていた以上、無罪になる理由としては刑法39条1項「心神喪失者の行為はこれを罰しない」が適用されたと考えられる。

このような判決を見るとなおのこと、事件が起きる前に医療につなげることはできなかったのか……と思ってしまうのだが、現状では、本人に病識がなく治療を拒否しているケースでは、家族が相当、必死になって動かない限り、治療を受けることは難しい。

この理由はさまざまあるが、中でも、2013年6月の精神保健福祉法改正によって、保護者制度が廃止されたことが、今になって大きな影響を及ぼしている。保護者制度とは、病識のない精神障害者に治療を受けさせたり、権利や財産を守ったりするために、おもに家族に課せられた義務のことをいう。
努力義務規定だったとはいえ、保護者の義務規定が削除されたことで、家族が本人を医療につなげるための法的根拠は、精神保健福祉法第22条の一般申請を利用する以外、なくなってしまった。

また行政や医療機関にとっても、以前は法的根拠があるからこそ、家族から「治療を受けさせたい」と強く訴えられれば、無下にはできなかった。しかし今は、行政や医療機関がやりたくないと思えば、「法的根拠もないのだし、家族は関係ないでしょう」と言えてしまう

保護者制度が廃止された理由に、「家族の高齢化に伴い負担が大きくなっていることなど」が言われていたが、結果的に、家族を苦しめることになっている。私は2013年の法改正の時から、「これは大変なことになる」と危惧していたが、その予感が当たってしまった

先月(10月)、愛媛県新居浜市の民家で高齢夫婦と息子が刺殺される事件でも、当初は、被害者と容疑者の間に「職場でのトラブル」や「祭りを巡ったSNS上のトラブル」があったという情報が行き交い、怨恨かと思われた。しかしその後の報道で、容疑者に精神疾患が疑われることが分かった。

河野容疑者は以前、健一さんと同じ職場に勤務し、一家3人と面識があった。インターネット掲示板には2019年5月と同9月、河野容疑者の名前で健一さんを中傷するような内容の書き込みがあった。
健一さんは同年9月と11月の2回、県警に相談。河野容疑者から「電磁波攻撃をやめろと言われる」などの内容だった。一方、河野容疑者も同年7月から20年8月にかけて4回、「電磁波を当てられる」などと健一さんに関する相談をしていた。
引用;毎日新聞 2021年10月14日 愛媛3人刺殺 2年前から県警に相談 3週間前にも警察沙汰 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

警察は基本的に事件が起きなければ介入できない。精神疾患が疑われるものに関しては、警察官職務執行法第3条による保護、もしくは精神保健福祉法第23条による通報(警察官通報)を行う。しかし今回の事件に関して、愛媛県警が保健所に行ったのは、「通報」ではなく「情報共有」であったという。朝日新聞に詳しい。

 一方、河野容疑者も19年7月~20年9月に計12回、「組織に狙われている」などと県警に相談した。
 県警は河野容疑者が、事実とは認められない被害を訴えていることから精神障害の可能性もあるとみて、保健所への相談を勧めた。西条保健所にも「(河野容疑者に)対応することがあれば支援をお願いしたい」と伝えたという。
 精神保健福祉法は、自身や他人に害を及ぼす恐れがある人を警察官が見つけた場合は保健所への通報を義務づけているが、県警によると、河野容疑者についてはその恐れがないとみて、通報ではなく、情報提供にとどめたという。
 県健康増進課によると、保健所は情報を所内で共有したものの、河野容疑者や親族が保健所に相談に来ることはなかった。担当者は取材に対し「本人や親族から相談があれば医療機関への受診などを勧めているが、なければ対応は難しい」と説明した。
 引用:朝日新聞 2021年10月15日 愛媛3人死亡、過去にトラブル相談 被害者からも容疑者からも

つまり容疑者には精神疾患の疑いがあったものの、「自傷他害の恐れ」はなく、警察官による23条通報には至らなかった、ということだ。しかし他の報道を見てみると、容疑者は車上生活を送っており、複数の同級生に「自分を悪く言っている人がいないか」と何度も電話をかけていたという。この仕事に携わる人が見れば、医療や支援が必要な人物であることは一目瞭然だったはずだ。家族からの相談はなかったのだろうか。

また、文春オンラインの記事(「バックに組織がおって、電磁波を当ててきよるんじゃ」理不尽な理由で親子3人を殺害した54歳の男の人生)を読む限り、シンナーやアルコールによる影響も考えられる(違法薬物の後遺症には、幻覚や妄想など統合失調症によく似た症状もある。アルコールを併用するとなおのこと悪化する)。

より踏み込んだ聞き取りや調査ができていれば、医療につなげる糸口はあった

私が保健所や精神科病院の固い扉をこじ開けてきた背景には、事前の徹底した視察調査がある。当事者が「精神疾患である」「病状もこれだけ重い」という証拠や根拠を並べることで、保健所や精神科病院も介入がしやすくなり(というより、介入せざるを得なくなり)重い腰を上げてくれる。だがこれは、私が民間人だからできたことでもある。

保健所には、訪問指導という職務があるが(以下)、先の新聞記事でも担当者が述べているように、「本人や親族から相談があれば医療機関への受診などを勧めているが、なければ対応は難しい」。保健所は「当事者の意思を尊重」し、あくまでも待ちのスタンスだ。今はコロナ禍もあり、訪問指導などますます困難になっているだろう。結果として、事件の予兆がありながら、問題は「放置」された。

訪問指導
(1) 訪問指導は、本人の状況、家庭環境、社会環境等の実情を把握し、これらに適応した支援を行う。原則として本人、家族に対する十分な説明と同意の下に行うが、危機介入的な訪問など所長等が必要と認めた場合にも行うことができる。
(2) 訪問支援は、医療の継続又は受診についての相談援助や勧奨のほか、日常生活への支援、家庭内暴力、いわゆるひきこもりやその他の家族がかかえる問題等についての相談指導を行う。

重責は家族や地域住民に

ごく一部とはいえ、未受診や受療中断している精神障害者が事件やトラブルを起こしている。それを機に措置入院など踏み込んだ対応がとられるかどうかは、実は地域(各自治体)によっても異なる。以下は、令和元年の措置入院に関する県別の件数だ。人口で割ってみないと正確な割合は出せないが、これを見るだけでも、措置入院という制度を積極的に利用する地域、しない地域が見えてくる。

措置入院

引用:厚労省HP 令和元年度衛生行政報告例の概況 統計表より(アクセス日2021年10月16日)

拙著『「子供を殺してください」という親たち』を刊行したのは2015年だが、この時はまだ私も、公的機関に期待するものがあった。制度や仕組みを変えることで、病識のない患者さんを医療につなげられるようになるのではないか。そう考えていたのだ。だが今となっては、「無理なんだろうな」という気持ちしかわかない。

家族すら放棄した問題のしわ寄せは、地域(近隣)に集約される。その現実を省みることなく、国はひたすら「地域共生」を進めている。これは、当事者への受診勧奨など「行政の職員ですらできていないこと」を、近隣住民に「やれ」と言っているようなものだ(そして、「できなかったときに犠牲を払うのは、近隣住民ですよ」という構図だ)。

自宅を捨ててでも逃げるしかない

では、自分や自分の家族が、被害妄想や幻聴の対象になってしまった場合、どうすればいいのだろうか。現時点で私たちに求められているのは、「自己防衛」でしかない。今年4月、大阪府大東市のマンションで女子大生が階下の住民から殺害された事件でも、容疑者は物の堆積した部屋に住み、周囲の物音に過敏になるなどしていた。親族もこの事実を把握していたことを、マスコミの取材に答えている。

事件の直前、隣の部屋に住んでいた20代男性は、「大きな音も立てていないのに(容疑者から)複数回、壁をドンドンとたたかれ」、恐怖を感じて引っ越している。だから助かった。

通り魔などは別として、この手の近隣トラブルには少なからず予兆がある。本人の言動から「様子がおかしいな」と感じることがあったり、身に覚えのないこと(被害妄想)を訴えられたりする。相手が知り合いの場合、最初は話を合わせて聞いてしまったり、妄想に対して強く否定できなかったりするのだが、それが相手の被害妄想に拍車をかけてしまうこともある。やがて怖くなって距離をとろうとするのだが、相手が応じてくれるとは限らない。

私が言えることは、不穏なことに気づいた時点で、民生委員や自治会、(賃貸なら)大家や管理組合など第三者を入れて、行政(保健所)に相談する。すでに実害を受けているのであれば、警察にも相談しておく、ということだ。「行政はどうせ何もしてくれない」と思うかもしれないが、万が一のことを考え、双方の機関に相談履歴を残しておくべきである。その際、当事者の行動を音声や映像として記録しておければなお良いだろう(ただし余計なトラブルを生んでしまう可能性もあるため、無理はしないでほしい。日付や内容をメモしておくだけでも効力はある)。

それでも事態が動かない上に、相手の被害妄想が激しくなっているなど、身の危険を感じるレベルになった時には、現実的な解決方法としては「そこから逃げるしかない」。身も蓋もない話だが、「地域共生」をマイナスの側面から見た時には、それが一般市民にできる最善の「答え」なのだ。

改めて言うが、精神障害者の大半は通院や服薬をし、安定した社会生活を送っている。今や日本には400万人の精神障害者がいる。そのすべてが「危険な存在」だとは誰も思っていない。だがごく一部の精神障害者による「事件」が起きるたびに、―そして、その事件が家族以外の第三者を巻き込んだ重大事件であるほど―、人々は精神障害者に対して言いようのない不安を抱き、偏見の目も生まれてしまう。

その根底にあるのは「治療の必要性のある人が、家庭や地域に放置されている」という現実だ。主管行政機関である保健所の職員でさえ、「精神障害者の人権」に配慮し、訪問指導すら行えない(行わない)のである。いくら国から「地域共生」を唱えられようとも、一般市民にしてみればどだい無理な話だ。

最近は、精神科病院での入院治療に対する批判も強い。精神疾患について「入院治療はいらない」「向精神薬も必要ない」とのたまう精神科医もいる。入院治療や服薬をすべて「本人の意思」に委ねるのであれば、病状の悪化もまた本人の責任であり、その先のトラブル(事件)においても同様の理屈が成り立つ。つまり、刑法第39条の規定はどうなるのか? これはもはや、避けては通れない議題だろう。

「精神障害者の人権」を必死に訴える専門家に限って、事件を起こしてしまった精神障害者については口をつぐむ。事件を起こした瞬間に「犯罪者」として振り分け、議論の俎上にさえ載せようとはしない。そういった姿を見るたびに私は、「人権」や「差別」といった言葉を自分たちの都合の良いように使い、精神障害者を利用しているのは、あんたらじゃないか! と言いたくなるのである。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?