見出し画像

音楽のこと。

YouTubeで「たま」(バンドの)を数十年ぶりに見た時のことを書いてみる。

イカ天出身バンドの「たま」を見るのは、中学時代に見たテレビの音楽番組以来だ。

当時の女子中学生が見た「たま」は、変な服を着て、なんか小汚くて、よくわからない歌を歌っていた。しかし、今モニタに映っているのは、小ざっぱりとした身なりの、センスと才能にあふれた品のある若者が、なにやら知的な歌を唄っている光景だった。「たま」は売れるべくして売れていたことを今さら理解した。



私は音楽を聴くとき、ほぼ歌詞を聞いていない。聞いていないというより頭に入ってこない。だから、「歌詞を聞いて元気をもらった」とかは一切ない。

そんな出来の良くない脳みそにも、「たま」の歌詞はスルッと入り込んでくる。そして一瞬にして頭の中に情景がひろがる。歌詞自体は一聴すると脈絡がなさそうなのだけど、たぶん真理のことを唄っている気がする。そういう類のことを考えるのが好きな人たちなのだろうと思う。

演奏も歌もうまい。技術的なことは良くわからないけど、曲の展開やコーラスはQUEENさながら、子どもの目からは適当に叩いているように見えていたパーカッションも、リズム感がただものではない。しかも、あのランニングシャツと短パンが全然ヨレヨレしていなくて清潔感があることに当時の自分は全く気付かず「小汚い」と思っていた。申し訳ない…

古い音楽は大好きだし今の音楽も聴く。洋楽も邦楽もクラシックも、パンクもロックもテクノもヒップホップも、面白そうと感じたものは何でも聴いてきた。サブスクが登場してからは特に、ありとあらゆる曲を気軽に聞くことができ、本当に時代が変わったことを実感している。

すべての音源が並列に並べられている今だからこそ思うのが、やはり、当時の「リアル」を知っているかどうかという事。その音楽を理解する上でとても重要な要素の一つだと思う。

時間が経つと伝説扱いされるバンドが増えてくるけど、当時を知っている人からすると共感できないことも多い。ちょっと雑い例えだけど、「当時一世を風靡していた」と文字にしたって、どのような状態が「一世を風靡していた」かどうかなんて、自分が経験しないとわからない。経験していたってわからないこともたくさんあるけれど、「その時代の中にいても自分はわからなかった」という経験をしているということが肝心だと思う。わからなかったなりに感じることや自分なりに想像できることがたくさんあると思うから。

媒体や編集者、ライターなどによってはそれっぽく盛られている記事も目にすることがあるし、物は言いようだな、と思うことも良くある。それを間に受けて賛同する人が増えると伝説化するバンドが増えるのだろうか…

逆に、自分の知らない時代だからこそ、当時の音楽を聴いて、当時の話を知って「思いを馳せる」ことができるのはとても素敵な事だと思う。当時を知らない特権とも言えるかもしれない。

まぁ、歳をとると思い出は都合の良いように変わるものだし、当時を知っていようが知っていまいが、どう受け止めるかは人それぞれだし、過大評価または過小評価されているからといって何がどうなる話でもないのだけれど。



最近の自分のヒットワードは「世の中は概念でできている」です(笑)
言葉も概念。人が発する言葉の背景も意図もさまざまで、言葉の持つインパクトは無限にある。すべてが正解にもなるし不正解にもなる。ありふれた話ではあるけど、その意味がやっと少しわかってきた気がする。

わかってくると、世の中が少しまた面白くなる。といっても全然わかっていないしわかった気になってるだけだと思うけど、人に迷惑をかけず、自分ひとりで満ち足りた気持ちになれるなら、それはとても健やかなことだと思う。そして、歳をとるのも悪くないかな…という気持ちになる。


ちなみに、もっと過大評価すらされても良いと思うミュージシャンといえば、ローリー寺西だろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?