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銀英伝の矛盾。どうしてユリアンは世襲で、ヤンの後継者になったのか?イゼルローン共和政府は過渡期としての軍事専制?

私は本当は性や恋愛テクニックについて語るつもりでしたが、
超個人的に銀河英雄伝説への熱愛が復活してしまい(笑) 銀英伝シリーズは続けると思います。

さて銀英伝を見ていて私個人は不思議に思ったことがあります。
ヤンウェンリーが舞台から退場すると、ユリアンがイゼルローン共和国(文書上は共和政府)の軍事面の指導者、フレデリカは政治面の指導者になります。

これを見て私は「いや、結局は親族で固めるとか王国やん」「北朝鮮の将軍様ファミリーやん」「そこで選挙とかやらんのかい」と思いました。
仮にも自由民主主義を標榜していたイゼルローン共和国がどうして、
「ヤンの親族の専制」に陥ったのか。ここがどうしても納得いきませんでした。私は銀英伝はここから設定が雑になってきたなあとすら感じました。しかし改めて思うとそうでは無かったのです。
2023年の今なら間違いなく、「親族の独裁のビッ〇モーターやん」と突っ込まれていたでしょう。

①同盟市民は「自国を愛国主義とポピュリズムで滅ぼした前科」がある

ここで重要なのは「自由惑星同盟を日ごろから形成して滅亡に追いやったのは同盟市民にも責任がある」と言うところです。
勿論、中には野党と言うかトリューニヒトを支持しなかった人も居たでしょう。ですが、その少数派も多数派の市民を止められなかったのです。
トリューニヒトやアンドリューフォークの責任は一般的な市民よりも重いでしょう。しかし市民にも責任があるのです。
イゼルローン共和国に居る人々は「まだマシな集団」かもしれませんが、やはり議会制民主主義の体裁(ていさい)に拘(こだ)り、決定権を市民に委ねるのは危険なのです。
ヤンを英雄視していた人が大半でしょうが、ヤンの思いや考えを理解できた人はどれほどいたかは微妙です。
親友のアッテンボローですら「伊達と酔狂で革命をやりたい」という感じでしたし、ポプランも友達と一緒に居たいという感じでしたしね。

堕落した民主主義体制を防ぐためにも軍部の専制(軍事政権)が必要だったのです。

②ヤンは「民主的体制」では無く「理性と自己批判を重んじる民主主義イデオロギー」を継承したかった。

民主主義と言ってもその言葉の意味は多くあります。
選挙や複数政党制だけが民主主義なのでしょうか?
選挙や複数政党制があれば独裁には成らないのでしょうか?

ヤンが残したかったものは「理性と自己否定が出来る民主主義」だったのです。人間は過ちを犯すものだ、悔い改めと反省が出来る、子孫に恥や負の歴史(黒歴史)でも伝えることが出来る。そういう「サスティナブルな自己否定を出来る民主主義」(=理性的民主主義)だったのだと思います。
トリューニヒト政権の前後の同盟のような「熱狂とナルシシズムに満ちた民主主義」(=感情的民主主義・ポピュリズム)では無かったのです。

ここで私はあえて「真の民主主義」なんて言葉は使いません。
時代と場所によって「民主主義は十人十色」だと思うからです。
ソビエト連邦のような社会主義国ですら「人民民主主義」(階級的集権民主主義)を標榜していたのです。


③「民主国家」で「理性的民主主義」は維持できるのか?

いわゆる社会主義国の多くは、社会主義(社会民主主義)とはかけ離れた統治をしています。 共産党独裁、秘密警察による監視、党幹部以外は平等に貧しくなる、社会的弱者への不寛容・・・どれも社会主義者が嫌悪するものを社会主義国は体現しています。
(共産主義と社会主義は異なりますがややこしいのでここでは触れません)

これは同じく「民主主義国」にも言えるのではないでしょうか。
スイス、サンマリノ、ベルギーのようなミニ国家では「直接民主主義と政治家の特権の廃止」というまさに民主主義のお手本のようなことが出来ますが、西側諸国の多くは本当に民主的なのでしょうか?

日本国や韓国などは議会制民主主義ですが、高い自殺率に有効な手段がうててていません。アメリカは議会制の民主国家ですが、熱狂的なドナルド・トランプが合法的・民主的に大統領に成りましたし、いつも戦争を輸出して国内で同じアメリカ人同士で深刻な対立をしています。(民主党・共和党論争、銃規制、人種対立‥)ハンガリーのオルバーン政権、ブラジルのボルソナロ政権などの権威主義も民主的な選挙で選ばれました。

つまり「選挙で国民が権威主義や愛国主義を選んだらどうするのだ?」
という問題があります。ここに「民主国家は国家を運営する以上、理性的民主主義を維持できない」という矛盾が生れると私は思います。

国家の運営には愛国心や誇りと言う「感情」が必要です。
しかし理性的民主主義には「あえて自分の国家や民族の現状や歴史を否定する」という知的作業が必要になると思います。
どの国の民にも「我が国、我が民族は誇り高く素晴らしいのである」と思いたい欲望があります。しかし自国を客観的に分析して批判する理性的民主主義では禁欲的になる必要があります。
民主主義国家と民主主義イデオロギーには乖離が生れる原因はここにあると思います。
ナショナリズムや愛国主義を持たない国家は存在しません。
それならば理性的民主主義イデオロギーは国家に庇護されながらも国家を否定するという「あつかましさ」や矛盾をはらむのです。

④ヤンにとっては「国家」は手段に過ぎない

ヤンにとっては「国家」は手段にすぎませんでした。
自由惑星同盟に生まれたのは偶然、同盟軍に入ったのも自分の人生のため、
ラインハルトと違って歴史のプレイヤーになるつもりは無かったのです。
ヤンは自由惑星同盟そのものは見切っていましたし、イゼルローン共和国も「民主主義イデオロギー保存の最後のサンクチュアリ(聖域)」であってそれの維持自体が目的ではないのです。

ヤンが残したったのは「民主国家」では無くて「あえて自国を否定する、理性的民主主義」だったのです。
ヤンの言う「民主主義の種子」とはそういう事だったと思います。
国家ではなくてイデオロギーや価値観を残したい。
なのでキャゼルヌやシェーンコップ、アッテンボローといった「旧13艦隊の常連メンバー」はヤンを最も近くで見て模倣してきたユリアンこそが後継者だと思ったのでしょう。

④ユリアンとフレデリカには「ヤンへの愛」があった。

そして重要なのはユリアンやフレデリカは人間としてのヤンを知っていて愛してたのです。
「理想の政治的リーダー」「民衆を自由へと導くリーダー」としての偶像化(ぐうぞうか)されたヤンウェンリーではなくて、ダメで自己中心的でおっちょこちょいな人間としてのヤンを愛していたのです。

ユリアンやフレデリカのヤンへの思いと彼の意志を継ぎたいという考えは、
「政治を超えたもの」「政治の概念の外側」の領域だったのです。
やはり「ヤンの遺志を継ぐ」のはユリアンとフレデリカしかありえないのです。

まとめ 「民主主義を守るために、民主主義をやらない」
過渡期としてのイゼルローン共和政府

群衆や大衆は熱狂と移り変わりする感情から行動します。
民主主義的な社会を維持するには、世論や民意に委ねてはダメなのだと思います。
腐敗した民主主義から、「かけがえのない高潔な意思」を防衛するには専制体制しかない。
結局は、ヤン陣営もラインハルト陣営と同じ手段しかなかったのでしょうか。
永遠に出ない答えだと思います。




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