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自分を許す、あるいは認めてあげることについて

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ここ最近、なんというか生きることがどんどん楽しく、それでいて心も穏やかになっているように感じる。

それはきっと、自分なりにいろいろと挑戦というほどではないにせよ、これまでやったことのないこと、つまり新しいことをやってみて自分に経験させてみるということがちょっとずつできるようになったというのもある。

そして、外に出て人に会うようになったことで、いろんな価値観や物事の見方、捉え方があるということに気づいたのも大きい。

それまではというと、世間の常識とか、これが普通とか固定観念とか「こうであるべき」「こうであらねばならない」みたいなことに縛られていたし、まわりの人と違って、そこにうまくハマれない自分は、落ちこぼれというのか「ダメな人間」「どうしようもない人間」だと思っていた。

だから、生きることそのものがキツい時もあったし「なんの役にも立てないこんな自分がなんで生きているのかな?」と本気で悩んだ時もあった。

なんというか、誰もいない、自分ひとりだけが暗いところをよくわからないけれど、とりあえず前に進んでいるような感覚というのか、どうしたらいいのかわからない、でもとにかくちょっとでも前に進めば少しは光が見えてくるかもという気持ちでなんとか生きているような感じだった。

30代は特にそういう期間が長かったように思うし、メンタルの調子も浮き沈みが大きかったし、希望みたいなものは、ほとんど感じられなかった。

それが30代の後半くらい、まあつい最近という感覚ではあるけれど、自分であーでもないこーでもないと行動してみたり、本を読んだり、情報を取り入れて学んでみたり、外に出て人に会うようになって、ようやく

「ああ、自分みたいな人間がひとりくらいいたっていいじゃないか」

と自分を許すというのか、自分の存在を自分で認めることができるようになってきた。

そうすると、これまでよりも生きることがちょっとずつラクになるというのか、心が落ち着いて軽やかに感じられて、精神的な浮き沈みもゼロではないけれど、気持ちが沈んでも、その期間が短くなってきた。

自分という人間がこの世界にいてもいい、存在してもいいと自分で自分を認めてあげる、少なくともひとりは自分の存在を無条件で「大丈夫だよ」と思ってくれる人がいる、例えそれが自分自身であったとしても、心の状態は大きく変わるというのか、ものすごい安心感があることに気づく。

自分で自分を認められるようになると、世間がとかまわりの人間がとか常識とか、普通とかこうであらねばならないみたいなことが気にならなくなった。

もう他人にどう思われようとかまわないというのか、好かれても嫌われても、認められても、認められなくてもどうでもいいというのかどっちでもいいというのか、自分という絶対に裏切らない味方がいるという心強さがあるから孤独を感じないし、自分に素直に、心のままに生きれるようになった。

なんというか、もちろん自分はひとりの人間なんだけれど、僕と僕を応援している僕との二人三脚というのか、また変なこと言っているなと思われるかもしれないけれど、今はそういう感覚でふたりでひとりみたいな気持ちで生きているし、「これやってみようかな?」「いいね!」みたいな感じで、自分で自分を応援しながら前へ、光が見える方へ進んでいる感じである。

これまではずっと自分が自分という存在を受け入れられなかった、認められなかったから、生きるのがキツかったのだと思うし、自分とまわりを比べては意味もなく落ち込んでいた。

けれど、自分はここにいていい、存在していいと、自分が認めてあげることで、それこそグルンと世界は変わってくるというのか、やりたいことはできるし、楽しくてしょうがないし、心も落ち着いて、何事にも感謝して、満たされている感覚で生きることができるようになってくる。

もちろん日々いろんなことはあるけれど、それだって気づきや学び、何かを手放すチャンスだと思えれば、この世界はテーマパークというのかアトラクションだらけで楽しい世界に感じられてくる。

なんだか話が壮大になってきたけれど、とにかく今は自分が自分のままで、誰になる必要もなく、素の自分でいることに何より幸せを感じているし、それを認められるようになった自分にも感謝して、楽しく心穏やかに生きていきたい。

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