もうちょっとわがままに生きてみようかと思うことについて
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
まあタイトルの通りなのだけれど、もうちょっと、自分にわがままをさせてみようかなと思っている。
とはいえ、なんだろう、わがままと言っても、欲しいものを欲しいだけ買うとか、食べたいものを食べまくるとか、そういうことではない。
そもそも、物欲らしい物欲がもうほとんどないし、欲しいものは?と聞かれたら「心の平穏」と答えるだろうし、食べ物だって「今日、何を食べたい?」と聞かれて「なんでもいい」という1番に困る返事をするくらい食にそんなに興味がないし、仮に1日1食のおかゆ生活が続いたとしても多分なんともないだろう(むしろやってみたい)。
僕にとってのわがままに生きるというのは「自分に素直になる」ということになる。
まあ普段から、自分に素直に生きているつもりではいるのだけれど、よくよく自分と向き合ってみると、実はどこかで気をつかって我慢していたり、自分の気持ちを言えなくて、心にとどめておいたりみたいなことをちょこちょことしていて、それがじわじわと積み重なっていって、ある時にそれがどかーんと爆発することがある。
そしてそういう、まわりに何か気を使ったり「自分が我慢すればいいや」というのは、結局は自分にもまわりのためにもならないような気がするし、行くとこまで行くと「自分はいつもこんなに我慢しているのに!」みたいにダークサイドへと落ちてしまう可能性もある(僕はよく落ちる)。
そしてこういう自分をおさえこむというのか、自分が我慢すればいいやというタイプの人は「人に迷惑をかけたくない」という気持ちが強いし「申し訳ない」みたいな気持ちをいつも持っているから、特にわがままではないようなことにも「こんなことを言ったら、やったらわがままになる!」という、「これはわがままだよセンサー」みたいなものが、人一倍に敏感なのだと思う。
例えばなんだろう、何か食事会みたいなのがあって、自分の分のお膳とかプレートではなくて、大皿にどんっと盛られたものを各自でとって食べるみたいな場合、僕はなんだか遠慮してしまって、全くといっていいほど取れない。
あとテーブルが円卓で回転式になっているやつも、ぐるっと回して自分のところに食べたいものを持ってくるという行動ができず、目の前にとどまっている食べ物をちょこちょことつまんで食べる。
なんというか、自分の分として最初からご飯、おかず、みそ汁みたいにある、あるいはお弁当とかであれば、全く何も気にせずリラックスして食べられる。
けれど、これがご飯とみそ汁は自分のとこにあって、おかずは各自で取って食べるスタイルになるとちょっと緊張して食べることになる。
まあこれは完全に僕の問題であって、ご飯をつくってくれて準備してくれた人には全く問題がないし、食べたいものを取って食べればいいだけのことである。
これまでを振り返ってみると、自分が迷惑をかけちゃいけないとか思ったり気を使っていたりすると、結局はまわりの人に気を使わせてしまったり、なんやかんや迷惑がかかっていたのかもしれないなあと思う。
なので、ちょっとずつ自分に素直になってわがままをさせるというのか、自分の気持ちのままに生きるということをやっていきたい。
そうやってみることで「あれ、これはわがままじゃなかった」とか「ここまですると、わがままになるんだな」みたいなラインがわかるだろうし、そうするとひたすらに我慢するとか気を使うということも少なくなるだろうし、自分ものびのび楽しく、本来の自分に近い状態で生きていける気がする。
まあ「自分に素直であること」と「わがまま」の線引きは難しいところもあるかもしれないけれど、もっと生きやすくなるために、ちょっとずつ自分に素直にわがままに生きていきたい。
ありがとうございます! いただいたサポートは、イラスト集やエッセイ集づくりなどの活動に使わせていただきます😊。