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心と体のサインにちゃんと気づいてあげることについて

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


ようやく春らしくなってきて、4月に入った途端、なんともわかりやすいくらいに体調を崩したというのか、なんだかよくわからないけれどここ最近ものすごく疲れていた。

まあこうして普通に文章を書いたり、いつも通りに行動して生活はしているわけだけれど、なんとも眠いというのかだるいというのか、常に疲労感を僕がおんぶしているようなそんな感覚である(どんな感じだ)。

多分、季節の変わり目というのもあるのかもしれないし、僕の家族もみんな、なんだか眠いとかよく言っているしなんだか疲れている感じなので、この時期に眠かったりだるかったり、疲れているなあと感じるのは僕だけではないのだと思う。

昔は眠かったりだるかったり疲れていても、なんというか無理をしていたというのか、休むということをしていなかった。

それはいわゆる常識だったり、普通だったり「自分だけ休むなんていけない」みたいな、そういう外側の方にばかり気持ちがいってしまっていて1番に大事な自分の心だったり、体の声を聞こうとしなかった。

今振り返ってみると、心とか体はちゃんと「無理しているよー」とか「ちょっと休んだ方がいいよー」ということを教えてくれていたのだということがわかるし、それを無視したというのか、聞こえないふりをして結局は大きく調子を崩したりしてしまうということもあった。

それこそメンタルを壊した時なんかは、ずっと心の声を聞かないで無理をしていた、自分では「みんなこのくらいやっているから」と言い聞かせてしんどいとかキツいという気持ちは抑えこんでいたわけだけれど、そうしているうちに心と体が「このままではマズい」と思って、強制終了という感じでもうある日の朝に、布団から出ようと思っても出られなくなってしまった。

そうやって、心と体の声、サインをちゃんと受け取らないで、見ないふりをしてまわりの人とか社会に自分を無理やりに合わせていても、何にも自分のためにならないと気づいてからは、ようやくちょっとずつではあるけれど、自分の心と体の声を素直に聴くようになった。

それでも最初のうちは「みんなはキツくてもちゃんと働いたり、いろいろやっているのに、なんで自分はそれができないのだろう?」と他の人のようにできない、生きられない自分を責めたりもした。

けれど、そもそも全く同じ人間はいないのに、みんなが同じことを同じくらいできるようになるということが、よくよく考えたら無理なわけで、そう考えたら「なんだ、他の人のようにできないことはダメなことじゃない、自分ができることを無理のない範囲でやっていけばいいんだ」というふうに思えるようになった。

それからは、心と体が「疲れているよー」とか「ちょっと無理してるかもよー」というサインを出してきたら、もう、すぐに休むようにしている。

そして前みたいに、疲れたとかキツいとか休みたいと思っている自分を責めるなんてことはせず「いっけね、ちょっと無理してたなあ、休も休も」という感じの軽ーい気持ちで、教えてくれた心と体に感謝しながら好きなことをしたり、ゆっくり休んだり、ぐっすり寝るようにしている。

そうすると心と体も回復してきて、また「いつもの感じ」の自分に戻れることができる。

今回は、ここ最近でもなんだか疲れが大きく出たような感じだったけれど、意識的に休むことでだいぶ調子も良くなってきたので、これからも心と体のサインにちゃんと気づいてこの春も楽しく過ごしていきたい。


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