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飽きっぽいことについて

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僕は飽きっぽい人間である。

多分、これは小さい頃からずっと変わっていないと思う。

なんというか、ひとつのことをじっと長い時間はやっていられないというのか、だんだん飽きてきて何か別のことをやりたくなってくる。

だから今の自分も日々のルーティンをちょこちょことつくってあるけれど、それは生活を心地よいリズムで過ごすためでもあり、またいろんなことをちょこちょことやることで、自分に飽きさせないためというのもある。

新しいことをふいに思いつきで始めたくなるのも、多分そういう飽きっぽいところからきているんだと思う。

まあ新しいことを始めては、すぐにやめちゃうこともたくさんあるのだけれど、それは特に気にしていない。

自分に向いていて「おお、これは楽しいなあ」ということを見つけられる時もあれば「うーん、ちょっと違ったなあ」みたいなこともあるから、こればっかりはやってみたいとわからないわけで、もしかしたら、新しいことを始めることそのものをひとつの楽しみにしているところもあるかも知れない。

飽きっぽくはあるけれど、自分が心から楽しいなと感じていることは、毎日のように続けられるし、僕は文章をこうして飽きずに書いているわけだから、文章を書くということは僕にとって、楽しくて好きなことなんだと思う。

とはいえ基本的にはひとつのことだけをずっと長くやり続けるということは難しいので、いわゆる職人的なことは多分できない。

だから、そういうひとつのことに長い時間ひたすら向き合って、極めていくみたいな人を尊敬するし、憧れもするけれど、まあ僕はそういうタイプではないので、自分のやり方を見つけていくしかないなあと感じている。

ただ、正直に言うと自分は「飽きっぽい人間でよかった」と思っているところもある。

なんでかというと、飽きっぽいから、あれもこれもやってみようと思ってとりあえずやってみるということをちょこちょこやるし、だからこそいろんなことを知ったり経験することができていると感じるからである。

まあ時間は有限だし、人生の残り時間は限られているものだから、広く浅くということにはなるのかも知れないけれど、それでも構わないというのか、まあ飽きっぽくて、欲張りなのかも知れないけれどあれこれやってみたい気持ちが強い。

これまでを振り返ってみても、まあ数えきれないくらい、いろんなことに興味を持って始めてみては飽きて、また別のことに興味を持って始めてみては、そのうち別のことがやりたくなってくる、というようなことをずっと続けてきた。

そしてそういう、いろんなことをあれこれやってみて経験したこと、感じたこと、楽しかったことが、今の自分というものを作り上げていることは間違いないと思うし、今の自分に生きているのだと思う。

だから例え飽きっぽいとしても、始めたことをすぐにやめちゃったとしても、これからもあれもやってみたい、これも楽しそうといろんなことを始めては飽きて、ということを繰り返してしていくのだろうけれど、それはそれで楽しいものである。

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