好きすぎて、読めない
「うちの積読をさらす」という興味深いタグが目に入り、
そういえば…と、改めて積み上げてみたところ、その標高約27㎝。
ま、まだ30センチは超えてない…と己をごまかそうとしたとて、
その視界には手つかずのコミック山と親書山、古本山が控えているのだ。
よろしくない。
(それにしても本当に京極作品の存在感…恐ろしい)
読めない原因はなにか。
時間がない?
いや、時間は、時間だけはみな平等にある。
(というよりも、平等にしかない)
そこを言い訳にできるほど、いい加減、子どもじみてはいられない。
最大の要因は、好きすぎることなのだ。
本屋などで新しく出ているのを見かけるとつい嬉しくなって、
どうしても手に取ってしまう。
でも、好きだから、
ちゃんと読めるタイミングにこだわりたくなってしまう。
だって、やっぱり、その本を初めて読む経験って、特別でしょう?
あとから何度読み返すかわからないし、
読み返すたびに発見があったりするだろうけど、
それでも何も知らずに最初の1行目から最後までワクワクできるのは、
初めての特権だと知っているから。
だから、できれば他のなににも気を取られることなく、
その1冊に集中できるタイミング、状況を選びたい。
(あと、できれば季節とかもこだわりたい…)
そして、我ながらどうかともおもうのだが、
まあ、影響されやすい性質なのだ。
京極作品は大好きだけど、
読むとしばらくはナチュラルにやたらと難しい漢字を使いたくなるし、
しつこく説明したくなるし(褒めてる)、
ENDマークの代わりに「終」でも「完」でもなく
<了>と書きたくなるし…
なんなら業務に支障がでかねない。
また、状況的には問題なくても、
やはりどうにも好きすぎて
早く読み切っちゃうのがもったいなくて読めない…
と、さらに面倒くさいこだわりも出てきちゃったりする。
よくない。
さすがに、大分よくない。
この約27㎝に積みあがった山を崩さなくては。
折しも、この月末、来月頭には連休がある。
ここでさらした山を、崩そう。
(少なくとも、1冊は)
宣言すると、後にはひけない性質でもあるので、
きっとこの機会を活かしてやろう。
(「結果も発表します」と宣言しないところに自分の弱さとズルさがある)
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