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私の朝鮮旅行2017④

朝鮮旅行も大詰めの4日目、明日は帰国なので今日が最後の観光である。

前日の地下鉄乗車体験を動画にしたので、よろしければご覧ください。


9月17日 早朝に平壌出発して板門店を見学した後に開城市内の世界遺産を見学する.板門店までの道中で黄海北道の梅とみられる果樹園や広大な大豆とトウモロコシ畑を観察する.停戦会議場の近辺は15日の火星12号発射の影響かいたるところで軍による警戒がされていた.板門店前は大量の要塞と対戦車障害物がありかなりの緊張が漂っていた.開城市では名物の朝鮮人参を使用した参鶏湯と宮廷料理を食した.何種類かのトラクターを市の周辺で観察した.ほかにも植林のノルマ達成率の看板を見たほか開城駅前周辺ではちょうど収穫期であったトウモロコシの乾燥と輸送作業を観察した.平壌市に帰った後,夕方テコンドーの世界大会の開会式を見学した.この大会はイギリスやドイツをはじめとした欧州も参加しており制裁下においての各国の外交を感じることができた.また夕食はアヒルの焼肉を食した.

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早朝の黄海北道を走る

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軍事境界線沿いの農村集落、南が近いからかモニュメントや宣伝看板が他の集落より目立つ

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こころなしか建物も立派である。

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板門店資料室の朝鮮全図

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軍事境界線の建物紹介をする人民軍将校階級は大尉

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金日成主席のお言葉の石碑、内容は朝鮮語がわからないために不明。

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説明を受けてから休戦会議場へ向かう

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当時の会議場の1つ

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有名な高さ比べの国旗塔、民主主義の側

休戦場衛兵

休戦会議場の衛兵、ウッドランド迷彩に近代的なヘルメット、地下靴にチェストリグである。

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アメリカ帝国主義者とその「カイライ」の勢力の朝鮮の自由と民主主義勢力を消滅させようとした陰謀が粉砕された調印会場。

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恥じ入るあまりすっかり色あせた国連旗

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いまだに色褪せぬ朝鮮国旗

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軍装姿の金日成元帥と卑劣な侵略開戦の6.25

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有名な写真たち

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勝利の調印の瞬間の写真。

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敗戦後に何度も朝鮮に進行するアメリカ帝国主義者の証拠写真。

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当時の鹵獲物など

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もうあと数十メートル歩くと南朝鮮である。いつの日か観光客も気軽に歩いていけるようになることを願う。

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現在も使われる会議室と敬語の軍人、拳銃のみの軽装備である。

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国連軍参加国の国旗、大勢の国が参加したが、民主主義陣営の朝鮮を屈服させることはできなかった。

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北から見る南の国旗塔

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車を飛ばして開城に入る。

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高麗成均館、封建主義時代の儒教の学校らしい。

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守衛さん、制服がかっこいい。

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立派な朝鮮様式の建造物である。

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ユネスコの世界遺産に認定されている。

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付属の資料館

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開城にあった応急の復元模型らしい。

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朝鮮の遺跡地図らしい。

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高麗青磁など様々な文物が展示されている。

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当時の百姓と、封建時代の支配階級である両班の衣類。

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石室の再現など、展示は凝っているものが多い。

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隣接する大学、朝鮮人参学部という特色のある学部がある高麗成均館大学、立派な校舎である。

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善竹橋と表忠碑
善竹橋 (선죽교) は鄭夢周の家(崧陽書院)から500mほどの場所にある橋で、幅は3.36m、長さは8.35mである。花崗岩製のこの橋は、鄭夢周が暗殺された場所でもある。橋の近くに表忠碑 (표충비) が2つあり、北側の石碑が1740年、南側の石碑が1872年に建てられた。いずれの石碑にも鄭夢周を供養する碑文が刻まれている。

ちなみに戦前からの名所でエガが気にもなっている。風景も絵葉書とほとんど変わっていなかった。

朝鮮王朝初代国王から簒奪に協力せよと迫られるも一言で断りその結果この橋で暗殺されたが、民の畏敬の念は熱くこうして今にその暗殺場所の端の姿が残っている。

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祠とユネスコ世界遺産の証明書

その後はしないのホテルに行って昼食をとる

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朝鮮王朝の宮廷料理、大変塩っ辛い。多すぎて申し訳ないが少し残してしまった。

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サムゲタン、クッソうまいとかいうレベルではない。最高、開城は朝鮮人参の名産地でもある。

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午後の観光は高麗王朝太祖の墓見学。

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世界遺産なので立派に整備されている。

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ちなみにこっちではなく、

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これが本当の世界遺産らしいが、みすぼらしいので隅に追いやられている。

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玄室への入り口、奥の標識の石柱がチ〇ポっぽいよねって案内員からひどいセクハラを食らったw

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開城駅、トウモロコシを干していて。なかなか乾燥施設などの整備も進んでないのだろう。

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昔の大門跡。

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森林保護員?のおねえさん、ピンヒールをはいている。

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古いトラクターで移動する農民、のどかな光景である。

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朝鮮のタンクローリー、運転手は暇そうだった。

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途中の有名なサービスエリア。

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石炭を運んだ帰りの列車に遭遇した。

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長編成である。

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朝鮮統一のモニュメント。

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交通警察。

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朝鮮の赤十字の車、ちなみにトヨタ車である。

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第20回国際テコンドー連盟(ITF)世界選手権大会(平壌)の選手を歓迎するために沿道で待つチュマゴリのお母さんたちと警察、ご苦労様である。

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たなびく朝鮮の国旗

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制裁下でもテコンドー大会にこれだけの国が参加していた。それだけメダルが欲しいのであろう、口では嫌がっても体は正直なものである。


パレードも行われていた。

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テコンドースタジアムのロゴと教会初代会長と旗であろうか?

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軍楽隊なのか内務省音楽隊なのか、わかる人がいれば教えてほしい。

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朝鮮国旗と大会旗。

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テコンドーの演武もやってました。

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飛んだり跳ねたり



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大会開会式後は未来科学者通りへ

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スマホの広告やってた。

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結婚式やってた、やらせじゃなければ見れるのは珍しいのかな?私も祝福させてもらいました。

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母親?から婿に花束が渡されるところ。

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新婚夫婦の宣誓。

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参列者に軍人も結構いた、これは階級は上級中佐さん、この結婚式の参列者は陸軍より空軍出身の参列者が多かった。

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アイス食べながら家路につく学生さん、朝鮮人といえど普通の人間なのである。

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夕食のアヒル焼肉屋さん。

ポスター

ちょうど弾道弾の試験の盛りだったので飯屋のポスターもそれにちなんだものでした。

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焼肉は日本と同じ様式でした。

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スープも肉もともにアヒルで大変滋味あふれておいしかったです。また朝鮮に行くことがあれば絶対食いたいですね。

これで4日目は終了です残りは最終の5日目です。なるべく早めに上げたいと思います。

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