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言葉に血を混ぜて

失敗作を山のように築いているうちに、気分がありえないくらい沈む日が周期的に訪れた。

70億人の中で相対的に見たら、今の自分の不幸度は一体何位だろうとか、布団から起き上がれない日は決まってそんな事をぐるぐる考えていた。

とにかく、自分にゼロからストーリーを作る才能がない事は痛いほど分かった。でも、私はどうしても今書かないといけないとも同時に考えていた。

それならどうするか。そうだ、自分の経験だ、とすぐに気づいた。
身を切る思いでとはよくいうじゃないか。切られて一番痛い所を切るのだ。

吐くなら血の混ざる言葉を吐きなさい。
あなたの吐く言葉には、ちゃんとあなたの血が混ざっていますか?

車谷長吉なら、そう言いそうだ。

自分が誰にも言えずにいた事はなんだろう、考えた。
これからも消えてくれなさそうな、一番痛い部分は。

そういえば十代の頃、上手くいかなかった恋が一つあった。
上手くいかなかったというか、色々あって自ら無理に終わらせてしまった恋だった。

二度と会わないと心で決めた相手に「またね」と言い残して足早に家に帰ったある夜。私は自分の部屋で、その日あった事を、その時の相手の事をどうしても忘れたくない思いに駆られてルーズリーフに一字一句漏らさず記録に残そうした。このnoteで載せた青い毛布と言う作品、それはあの時のルーズリーフを元に作ったものである。

まさかそれを人前で、しかも自発的に発表する日が来るとは思ってなかったので今最高に恥ずかしいのだが、つまり私はあの時、無意識に特定の時間を文章の中に閉じ込めて永遠を作ろうとしたのだった。

それなら青い毛布は私小説なのか、割りに生々しい話も多々入っているが色々とガチなんですか?という話しになるが、推敲を死ぬほど重ねていく段階で現実にあった出来事や私の面影は全部消えてしまっている。

この、「創作中に自己の境界線があやふやになる問題」はちょっと個人的に色々思うところがあるので、また別の回でそのうち書こうと思う。

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