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被害者ぶりたくないよね

noteでエッセイ的なものを書くなら、できれば人を明るくほっこりさせるものをやりたいと常々考えている。

つぶさにグルメ情報やコスメ情報などを投入し、日々仕事に恋に奮闘、1~2分で読みきれるのにエモい!何これみんなに拡散しなきゃ!みたいなやつが理想。

それなのに前回の記事が暗い。まさにブラックホール、もしくはそれを予見するかのようである。

そしてどのくらいの方が気づいているか知らないが、みんなを幸せな気分にするほっこりエッセイが書けるような人が南極に位置するなら、成田は北極の人間である。

つまり、餅は餅屋。ほっこりエッセイは選ばれし方々にお任せするとして、成田は今日も自分の餅を焼くために、やはりブラック企業時代の思い出の続きを、すなわち「これが辛かった」「あれがやばかった」「今でも殺したい奴がいる。それはアイツ」みたいな事を世間の皆様がまだ忙しく働かれているであろう金曜の午前中に発信したいと思う(ネガティブテロ)


「なんとか経営を再建します。それまで持ち堪えてください」

そういう、経営側の言葉を鵜呑みにして、あの頃の私は毎日毎日厨房で料理を作り、接客をして、時間が来たら店を閉めて在庫を取ったり発注をしたりする日々を繰り返していた。

一年としないうちに二十人いた同期も三分の一以下に減り、残ったのは真面目で律儀なタイプか、私みたいに予期せぬ展開に完全に飲まれてどうしたらいいか分からないタイプの二つになった。

子会社の飲食事業自体も経営は芳しくなく、似たような競合他社に遅れを取らないため、必死に値下げをして、さらにそこから利益を上げるために、原価を抑えたり、人件費を浮かせたりするための施策をあれこれとめぐらす。

しかしどの店も経営は少しも黒字にならない。
毎日ピークの時間帯は外で行列が出るほど忙しいのに、一年以上赤字が続いている店がざらにあったりする。

この状況の中、現場の責任者が扱える数字はせいぜい食材原価か人件費、そして光熱費。
光熱費なんてたかが知れているし、原価を抑えるといっても、大体人気の商品ほど原価は高かったりするので、その発注を減らしたりするとお客さんが離れていく原因になる。

ここを上手くコントロールするにはそれなりの経験とコツがいるが、それを心得ているベテランの店長さん達は解雇されたり、もしくはそういう会社のやり方に反発して辞めてしまったりしている。

最終的に若くて経験の浅い現場責任者に残される手段は人件費削減。
赤字が続いている店ではアルバイトの数を減らして、社員がその分サービス残業で稼動をするというのが暗黙の了解になっていた。

一日15~20時間働いて、3,4時間の仮眠を店の事務所で取って、それを一ヶ月近く続けてようやく一日だけ家に帰る。
労働環境に不満を漏らすとオラオラ系の幹部がどこからともなくやってきて、「俺が若いときは月500時間働いた」とか「四十度熱が出ても休まなかった」とかいう話に始まり、最終的には結果を出せないお前が全部悪い、という事にされて片付けられてしまう。

ある種の労働集約型の業界ではこんな事は今でも当たり前だと思うのだが、飲食業をやろうなどと微塵も思っていなかったあの頃の私にとって、それは苦痛でしかなかった。

それに人間は本当にしんどくなってくると思考が麻痺して記憶が曖昧になってしまう。あの時の全てを毎日克明に記録しておけば、成田は平成の蟹工船乗組員としてプロレタリア文学の新たな金字塔を打ち立てられたのではないかと今でもたまに妄想してしまうが、実に残念である。

今でも断片的に残るのは、「つらかった」「死にそうだった」「あいつ殺す」などの刹那的な感情のみであり、そういうのをいちいち取り上げていると、ころす、生霊を飛ばす、ハッシュタグミートゥー!みたいな呪いのみで構成される文章になる上に、書いている私本人までふっと死にたくなってしまうので、今回は色々あった事の中でも比較的マイルドなエピソードをここで紹介したいと思う。

当時、店舗と言う名の牢獄に毎日平均十五時間閉じ込められていた私の一日の休憩時間は、たったの十五分だった。前述の、人件費削減うんぬんの理由で自主的に、である。

当然、この時間内で食事だけでも済ませなければいけないのだが、お弁当などを作っているゆとりもなく、毎日疲れすぎてて事前に何か買い置きしておくなどの発想もわかず、コンビニなどにいくとそれだけで休憩時間を超過するため、店の商品で廃棄にできそうなものを事前にピックアップし、休憩が始まるやいなや猛スピードでそれを食べる、というもはや囚人か二等兵軍人のような食生活を送っていた。

飲食店なので食品にはそれなりにレパートリーがあるが、困るのは飲み物である。事前に買っておくのやっぱり忘れるし、飲料は基本的に廃棄になるものが少ない。

そしてある日「…コーラが、コーラが飲みたい」などと虚ろな目でぶつぶつ呟いていたら、アルバイトの子が気を利かせて買ってきてくれたことがあった(やさしい)

ありがたや、久々のシャバの飲み物じゃ!と喜び勇んで飲んだ瞬間、なぜか胃の辺りに説明のつかない激痛が走り、その場でうずくまったまましばらく動けなくなってしまった。

そこから吐血。ついに成田倒れる。かわいそう。となればネタ的におもしろいかもしれないが、その後しばらくしたら何事もなかったかのように元に戻った。


これは一体何の話か。
つまりこれは、コーラを飲み下すだけで十五分の貴重な休憩が終了してしまったという絶望の話しである。

どうだろうか、このくらいマイルドだったら問題あるまい、と思っているが、同時に少しハズしてしまった気もしている。

とりあえずそんな感じの毎日だったため、せめて通勤時間は仕事以外の事に充てようと思って、数少ない休日のうちに池袋のジュンク堂で選んで買っておいた一冊の本があった。

それはヴィクトール・フランクルの夜と霧。
たくさんの本の中からどうしてそれを選んだのか、今では良く覚えていないのだが、ある意味何かのご縁だったような気がしている。

世界的な名著なのでご存知の方も多くいると思うが、内容は大まかにいえば、ナチスの統治時代。強制収容所に入れられたユダヤ人が、いつ殺されるとも知れずに強制労働に従事させられて少しずつ心を失っていくさまを、同じくユダヤ人として強制収容所に入れられて、なおかつ精神科医だったフランクルが淡々と記録してまとめたものだ。

どう転んでも、今の日本では何もしていないのに急に捕まえれて強制労働させられたり、ましてや命を奪われるなんてことはない。どんな会社だって、辞めようと思えばいつだって辞めてしまえるし、そういう法律もちゃんとある。
それでも、この本はあの時の私の心に深く刺さった。

終わりの見えない日常の中で心が少しずつ磨耗していく様。
それまで保っていた自己が徐々に崩れて不安定になっていく様。
時々、些細な事で感情が爆発して抑えられなくなる感じ。
本の中でユダヤ人達に起きているそういう事実の一つ一つに、激しく共感を覚えてしまったのだった。

例えて言うなら、本という名の「小さな窓」を覗き込むと、その中に自分とそっくりな誰かがいてびっくりする。

窓の中の、生まれる時代も、人種も、言葉も何もかも違う、そこにいるはずのない自分を通して、本当は自分が何を思っていたか、何が言いたかったかが急にありありと形を帯びる。そして初めて、人は自分のためだけの言葉を獲得するのだ。


本を閉じてふと目を上げた瞬間、どういうわけか景色がそれまでと全く違って見えるような気がした。


「小説を本気で書いてみたい」

電車の中でふと、そう思った。


それからしばらく経たない内に会社は匙を投げるように子会社との連結を切り、その後もしばらく迷走を続けるが、結局最後は民事再生手続きを取り、事実上の破産という形になった。

あの頃の事を総括すると、おそらく私は一種のハズレくじを引いてしまったんだな、というような事になる気がするのだが、社会に出る時のファーストステップというのはその後にものすごく影響するので、やれやれ本当に勘弁してくれよ、という感じである。

本当に。

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