小さな波乱

書くことに付随する話をちゃんとしようと思ったら、これから書く、働き始めてからの数年間が決定的な影響力を持っているのだが、私にとってはその数年間がどうしても上手く説明できないというか、本音を言えばあまり思い出したくない時期でもある。

勝手にここまで書き散らかしておいて、何を言っているんだろうと自分でも思うのだが、できればこれを機会に誰かに聞いてもらうのは最後に、鎮魂の意味を込めて書き記したい。(誰の魂を沈めるのか。もちろん自分である)


就職活動では、何か書くことを仕事にしたい、というありがちな発想からマスコミ系の企業をとりあえず片っ端から受けてみる、というオーソドックスかつ短絡的な行動に打って出たのだが、当たり前のように軒並み全部落ちた。


結局、新卒で入った会社は専門コンサルタントの会社で、事業内容をここで詳しく書くのは面倒だし、潰れた会社で今更そんな価値もないと思うので省くが、当時は一応テレビや雑誌に露出したり、上場して七年くらいのちょっと人気のベンチャー企業だった。

入ってみたら上司や先輩は仕事熱心な人ばかりだったし、一緒に入社した同期も競争心や独立心の高い子が多くて、会社全体が常に明るい活気に満ち溢れていた。

「働くって、きっと楽しいことなんだ。よし、自分もここで頑張るぞ」

そんな感じで、私はその空気に浸って自分もすっかり社会の一員になった気分でいたのだが、歯車は三ヶ月としないうち突然狂った。

研修も終わらないうちに急に社内で全体会議が開かれて、深刻な表情の役員がホワイトボードに謎のグラフを書きながら債務超過が何億とか、株価が暴落してうんぬんとか、これから裁判があってどうだとか、続報の詳細をホームページのIR情報の所に載せるので質疑応答はまた後日、みたいに聞き慣れない話しをどしどし始めるのだが、相変わらず脳内が富良野のラベンダー畑レベルだった私はそれを上手く噛み砕いて理解する事が全然できなかった。

こっそり近くにいる同期に聞いたら、どうやら過去の粉飾決済が明るみに出て超やばいのだという。そういえば入社直前で株価が下がり始めていてこれは大丈夫なのか?とかそういう話をちらちら耳にしたりしていたが、私はいまだにこの時起こった真相の前後関係が良くわからない。

すぐさまネットでニュースになり、週刊誌にも会社名が堂々と載って記事が書かれ、あぁ、これはマジでやばいんだな、とさすがに私も気づき始めたくらいで親会社が代わり、本社が綺麗なオフィスビルから雑居ビルになり、各社員が持たされていた社用のパソコンや携帯は全て回収され、あらゆる社内制度、福利厚生が事実上全て廃止になり、実力のあるベテラン社員達は一気に大勢辞めていった。

ものすごく色々目まぐるしかったので、記憶の整理が今になってもあまり上手く付けられないのだが、その中でも印象的だったのは、とある誕生日祝いの出来事だった。

研修を受けていたら、妙に日焼けして柄の悪い新役員が突然研修室に入ってきて、新卒全員が小会議室に連行される。

「ハッピバースデー、ディア、○○社長だ!お前ら、○○社長、の所を言い間違えるなよ!」

つまりは、親会社からやってきた、新しく就任する社長の誕生日を歌って祝え、ということらしかったのだが、分けもわからないまま今度は執務室に連れて行かれて、新社長の前に並ばされてバースデーソングを大声で歌わされる。

歌っている途中、ふと気づくと、満面の笑顔の新社長からは少し離れた席で、旧社長が息を殺すようにして下を向いて座っている。
(この創業の社長はその後副社長というポジションになったが、それから間もなく辞職した)

自業自得だ、言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、まぁ、そういう安いドラマみたいな事が実際にあったという話しがしたかった。

それで、事業内容もそれまでのコンサルタント業務がほとんどできなくなり、何のスキルも経験もない新卒の私は子会社の事業の一つである飲食チェーンで毎日オペレーションをすることになる。

会社としても、関東圏内に四十店舗程の飲食店を持つ子会社と自分の会社で連結子会社に、つまりはお財布を一緒にして、事業規模としてはそれなりの子会社の業績不振を改善することによって自分達の借金も返してしまおう、という話しだったのだが、当然言うは易く行うは難しである。

どう考えても、このゴタゴタのせいで色んな人の人生が引っ掻き回されて滅茶苦茶になった。

私なんてまだ子供に毛の生えたような年齢だったから良かったかもしれないが、あのリーマンショックが終わって震災が来る中間くらいの時期に、「赤字が続いているのは質の悪い店長がたくさんいるから」という理由で現場の40~50代くらいの店長さん達がごっそりクビになった。

この時点でさっさと自分も辞めていればよかったのだが、入った会社をすぐに辞めるということが、この時の自分にとってはとてつもなく悪いことのような気がして、結局その後もしばらく残った。

例えば三年で会社を辞めて起業したり、次のキャリアに移るのがかっこいい。

三年続けられない奴は何をやっても駄目だ、

石の上にも三年、新人は三年で一人前になる、等々。

多分、こういう「三年神話」みたいなものは今でもまことしやかに囁かれ続けられていると思うのだが、例に漏れず私も「何があっても三年は続けろよ」と親や大学の先生から耳にタコができるくらいに言われていた。

それに、今でもそうだと思うのだが、数年と経たないうちドロップアウトした人間は就職市場では「第二新卒」とか「新新卒」などと呼ばれる。

第二新卒積極採用!などと銘打ってる求人情報も、蓋を開けてみれば早期退職を見越した大量採用。完全歩合制のブラック営業だったりとか、そういうのがマジでざらであり、言うなれば「お前らは一つの場所で三年も続けられない駄目な人間。うちの会社が敗者復活戦でふるいに掛けてやるから根性見せろや」的なアレが多い。前職で何が起きていようが、履歴書や数十分程度の面接ではそれは十分汲み取ってもらえない。

何が言いたいかというと、この時の私の置かれた状況は完全に前門のタイガー、後門のウルフ。つまりは進んでも退いても地獄が待っていますよおめでとう、みたいな感じだった。

社内では早くも粉飾決済やその原因となった様々な出来事をめぐる責任のなすりつけあいが至る所で勃発し始めていて、本当に、あの時の状況は見ているだけでこっちの徳までガンガン下がっていくような感じだった。


(つづく)

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