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愛しき牛と消費される牛、貨幣経済と貧困の出現 #1【カラモジャ日記24-03-17】

 ここ数週間、雨季の到来を告げるような規則的な雨がカラモジャの大地を湿らせた。住民たちは天を信じて、ソルガム(カラモジャにおける主要穀物)の種を畑に蒔き始めた。
 しかし、彼女たちの作付けが終わるのを待ち伏せしていたかのように、雨はピタリと降り止んだ。それからというもの、乾燥した強い風が吹き荒れ、雲ひとつない晴天の日が続いている。まるで反時計回りに時間が進んでいるみたいだ。乾季に逆戻りしたのかもしれない、と誰かが言った。

* * *

 僕たちが活動するカラモジャは半乾燥地域で、元々は遊牧民の人々が牛とともに転々と移動を繰り返しながら生活していた。彼らの生活は、常に牛とともに在り、「牛至上主義」とも揶揄されるくらい人々は牛に誇りと価値を置いている。

 しかしそのライフスタイルも、時代がもたらす外的要因に揺さぶられながら少しずつ変化してきた。彼らは現在、雨季には農業に励み、長い乾季には牛飼いの旅に出るという両方のバランスをとった半定住生活を送っている。
 雨季には、家畜は家の周りの草を喰み、人間は農業を営む。乾燥に強いソルガムの栽培が主流で、牛は牛耕にも活用される。逆に乾季になると彼らは、愛すべき牛の喰む草を求めて、遊牧に出かけていく。1ヶ月から、長くて3ヶ月もの間、マニャタ (=家) に帰ってこないそうだ。

雨季の農地整備。牛耕に用いられる牛たち

 僕は住民の一人、アパロレムという青年といつもながらの雑談に花を咲かせていた。今日の僕たちのトピックは「牛と共に在る生活」だった。

「3ヶ月も乾燥地帯を転々としながら、どうやって生活するんだろう?」と僕は尋ねた。
「第一に俺たちは牛の乳を飲む。牛の血だって飲むんだ。信じられるか?」とアパロレムは無邪気な笑顔を見せながら言った。「なかでも、血とミルクを混ぜて温めたヨーグルトは大好物だ。いつかお前にも食わせてやるよ」
 未開の茂みの中に潜んでいるすべての細菌が混在したピンク色のヨーグルトを想像しただけで、僕の胃は音を立てて悲鳴を上げた。
「あとは茂みの中で動物を狩猟するんだ。ウサギやらシカやら、茂みの中にはうまい肉がたくさんある。とにかく、食料に困ることはないよ。太って帰ってくる男たちだってたくさんいるくらいだ。俺たちからしたら家に留まって何もしないほうが、よっぽど飢えと渇きがひどいんだよ」
 アパロレムは兄貴分が親戚の弟に自慢話を聞かせるみたいに、楽しそうに語ってくれた。

 アパロレムは僕たちの農業プロジェクトに参加していて、この日も農場で畑の整備をしていた。時々グループメンバーと仲違いを起こす問題児的な側面もあるんだけれど、話し込んでみるとどこか納得させられるような、人の良さを持ち合わせている。
「ところで君は牛を所有しているのかい?」と僕は尋ねた。
「3匹いるよ。大きいのがね」とアパロレムは細長い両手を広げてそのサイズ感を説明しようとする。
「すごいじゃないか。でも君はいつも農場に来ている。牛の世話はしなくてもいいのかい?」
「今は弟が遊牧に出かけているから大丈夫だ」
「じゃあ牛の世話と畑の世話はどっちが好き?」と僕は意地悪な質問を投げかける。
「農業」とアパロレムは短文で答える。
「なぜだろう?君は牛の話をする時、とても楽しそうに見えるのに」
バランスの問題だよ。遊牧に出かける兄弟がいるから、俺は畑を耕して食べものを作る。そうして家族と一緒に、あいつの帰りを待つ。ただ俺が農業で、兄弟が遊牧という役割を引き受けただけのことで、両方重要なんだ。
 彼の言葉には、僕を納得させるような響きがあった。生業も、文化もどちらかに偏って、どちらかを欠くことはできない。農業も放牧も、どちらも両方大事な生活のパーツだった。

* * *

 カラモジャでは、ケニアや南スーダンといった隣国から密輸される銃の存在が、物事を複雑にしている。元々、文化的に牛に至上の価値を認めるカラモジャの人々は、民族をまたいで牛を盗み合っていたという歴史がある。
 ある時まで、その牛の強奪には棍棒や弓矢が使用されていた。しかし、それがいつの日からか、AK銃などの小型武器を用いることが一般的になっていった。

「ところでカラモジャでは昔、牛を盗み合う文化があったって聞いたことがある。それは本当なのかな?」と僕は少しばかりセンシティブな質問を投げかけた。
「ああ、本当だよ」とアパロレムは言った。
「君も牛の強奪に参加したことはある?」
「ああ、一度だけ参加したことがあるんだ」そう言ってアパロレムは、懐に閉まっていた刀を抜く武士のように、少しばかりの笑みを浮かべて強奪の武勇伝を解禁した。
「どのようにして?」
「ずいぶん昔のことなんだ。俺たちの村の牛が数匹、敵対する民族によって盗まれた。だからその報復として、俺たちは奴らの牛を盗み返すことにした。いくつかの村から我こそはという男たちを集めてきて、俺たちは決起集会を開いた。ここから、あの山の向こうの村まで、少なくとも100人以上は集まったよ」とアパロレムは遠くに映る山を指差して言った。僕は大切なものを盗まれた人々が、怒りを胸に火を囲む様子を想像した。
「銃を持って?」
「銃を持ってる奴もいた。俺は持っていなかったから棍棒を持っていた」
 僕たちを緊張感に近い雰囲気が包み込んでいた。彼らの運命はどのように決着したんだろう。
「果たして、その結果は?」と僕は聞いた。
 数秒の神妙な沈黙の後、彼は言った。「手ぶらで帰ってきたよ」
 僕は声を出して笑った。つられるようにして、アパロレムもニコニコ笑っていた。彼も僕から一笑いをかっさらうことができて嬉しいみたいだった。(漫談やないかい)
「そんなに笑うなよ。相手はどこかで襲撃の情報を事前に仕入れていたんだ。だから俺たちの三倍以上の男たちを動員してきた。そんなのかなうわけがないだろう。まったくもって勝ち目がなかったよ」
「また参加したいと思うかい?」
『もうコリゴリだ』という表情で、アパロレムは笑いながら、首を横に振った。

 そこまで話したとき、通訳をしていたスタッフのブライアンが、一言言わせてくれと議会で手をあげる政治家のように、勢いよくカットインしてきた。
牛の強奪はただの文化じゃない。今やサバイバルの手段なんだ。僕らの先祖が牛飼いをしていた頃、今みたいに飢餓に苦しむ人はいなかった」とブライアンが言った。
「それはどういう意味なんだろう?」と僕は尋ねた。

貨幣経済の浸透だよ。誇りだった牛は市場で売り飛ばされる牛になった。そして、貧困の時代が始まった

 彼の表現はいささか文学的すぎて、僕はその意味を咀嚼するのに時間がかかった。そんな混乱した僕の目をじっと覗き込んで、ブライアンは長い話を始めた。

#2 につづく。

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